戦中からチョコレート店を営む
チョコレートショップが博多に産声を上げたのは昭和17年、日本はいわゆる戦中という時代。驚くことに、コッペパンが1個15円の時代にひと粒100円でチョコレートを販売していたとのこと。それまで、初代シェフの佐野源作さんは旧帝国ホテルで料理人として活躍していた。
当時はパティシエ、ショコラティエという言葉や区別も無く、デザートやお菓子も全て当時で言う「コックさん」が作る時代。初代シェフはフランス人が作る「トリュフ」に魅せられた。自己流で研究を重ね、まだ一般人の海外渡航が珍しい中、ヨーロッパへ渡り本場の味に触れて研鑽を積み、チョコレート専門店を持つまでに。
「父のチョコレートは日本人向けの白米の食感」
初代シェフが苦労の末に作り上げたチョコレートについて、2代目シェフ佐野隆さんは「父のチョコレートは柔らかくてもっちりと粘りのある、いわゆる生チョコ。当時はチョコレートと言えば、硬くてかじるとバリバリと音のなるようなもので、他とは全然違う。父は『日本人は炊いた白米のような柔らかい粘り気のある食感が好きなんだ。』と言って、フレッシュなチョコレートを作り続けていたんです。」と、誇らしげに語った。
安心安全なチョコレートを
そしてこう続けた。「でもね、当時はチョコレートは日持ちがするお菓子だと思われていたし、冷蔵庫も普及していない中、すぐ腐ってしまうので、たくさんのロスが出たんです。子どもの頃は売れ残った商品を私が食べていました。
職人になった頃、チョコレートのレシピにはどこにでも添加物が当たり前のように入っていたし『使えばいいのに』と言ったことも…。とにかく、父の作るものは水分量が多くて賞味期限が短いんです。だからロスが出るため、利益が少なくなる…
その時は父が首を縦に振らないことに疑問を持ちましたが、自分が親になって気づいたんです。子どもが一番たくさんチョコレートを食べるんですよね。思えば自分もそうだったんですが(笑)。それを見て『利益が少なくなっても、子どもには安全なものを食べさせたかったんだ。』と。」
「仕事は継がない」つもりで家を出ました。
子どもを持つ親となって、初代シェフの「安心安全」についてのポリシーに気づいたという隆さん。実は家の仕事は継がないつもりで、家を出た時期もあったとか。というのも、1970年代は大量生産の時代。丁寧な手作業のチョコレート製造は、時代に逆行するかの印象が。
「父の仕事がなかなか軌道に乗らない中、母は家計を支えるために麻雀屋でパート勤めをしていました。学校が終わったらそこで宿題をしたりご飯を食べたりして過ごしていたんですが、そんな家庭の状況を目の当たりにしていたので、店は継ぎたくないと思い、家を出ました。」
辿り着いた有名店での出会い
大学を中退し放浪が続いたある時、神戸の有名店ドンクで働くことに。そこで出会ったフランス人からチョコレートの魅力を学ぶうち、いつしか父へのリスペクトが芽生える。やがて「自分のチョコレートを作りたい」と、興味が情熱に変わり…ついには福岡へ戻って父に頭を下げ、チョコレート職人としての修業を始めた。
「博多のチョコのはじまりどころ」として
今では40年以上のキャリアを誇り、博多のチョコレート文化をけん引する、2代目佐野シェフ。「博多のチョコのはじまりどころ」として、多くの人にチョコレートの可能性を知ってもらうため、現在では地方創生も視野に入れて、この土地ならではの素材とのコラボで新しい味を追求している。
「昔から変わらない味で親しまれているので、まずはその80年分の信頼に応えるため、定番商品を大切にしています。しかし、新しい試みも…ということで、ふくやさんの明太パウダーをフレーバーに使うなどのチャレンジもしました。これからも『THE博多』なものを生み出せたらいいですね。」
博多にチョコレート文化を根付かせ、長年守り発展させ続けてきたプライドと、お客さまへの感謝の心を持ち続ける謙虚な姿勢が、シェフの誇らしげで穏やかな笑顔に溢れている。
チョコレートショップ本店
〒812-0024 福岡市博多区綱場町3-17
092-281-1826(本店代表) 0120-07-1826
営業時間10:00〜19:00(火曜日)
※毎週火曜日(祭日以外の場合)、定休日。
アクセス呉服町駅から徒歩3分 中洲川端駅から徒歩4分 土居町バス停から徒歩2分
駐車場5台 駐車スペースあり
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