なぜ“家事シェア”はむずかしいのか?
家事は、目に見えづらくて終わりがなく、評価されにくいものです。
たとえば「洗濯」とひとくちに言っても、「洗濯機を回す」だけじゃないですよね。
干して、取り込んで、畳んで、しまって、足りない洗剤を買ってきて……と、たくさんの工程があります。
でも、それを分担しようと思っても、どこからどこまでが“ひと仕事”なのかが、そもそも曖昧です。
さらに、家事に対する価値観の違いも大きな壁です。
“育ってきた家”で家事をどれだけ見てきたか、どんな役割分担を見てきたか。
夫婦でその前提が違えば、「なぜこれができてないのか」「なんで気づかないのか」と、すれ違うのも無理はありません。
“平等”じゃなきゃダメ?よくある誤解とは?
家事シェアというと、「50:50で分けることが理想」と思われがちです。
でも実は、大切なのは“分担割合”よりも“納得感”や“信頼感”です。
家事は“やった、やらない”だけでなく、
- 「ありがとう」と言うこと
- 相手のがんばりに気づくこと
- やれていないときに責めないこと
これらも立派なシェアの一部だと、僕は考えています。
だから、「うちはまだちゃんと分担できてなくて……」と不安にならなくていい。
あなたの家庭なりの“分かち合い”は、きっともう始まっているはずです。
“できない日があってもいい”という選択
家庭は、日々の暮らしの中で変化します。
仕事が忙しい日、子どもが体調を崩した日、自分の心が疲れている日。
そんなときに「今日は無理」「私がやる」「今週はパートナーに任せよう」……そういう“偏り”が生まれるのは当然です。
シェアって、常に半々である必要はないんです。
むしろ、“今はどちらかが多め”という期間があっても、それを「長い目で見てバランスとる」ぐらいでいいと思うんです。
家族はチーム。短距離走じゃなくて、マラソンですから。
家事シェア=チーム作り
僕が家事シェアという言葉にこめているのは、「分担」だけではなく「チームとしての関わり方」です。
たとえば、
- 子どもが成長して、自然と手伝ってくれるようになった
- パートナーが自分なりに“やれること”を見つけて続けてくれている
- 自分も「任せる力」を少しずつ育てている
これらもすべて、立派な家事シェアのかたちです。
完璧じゃなくていい。むしろ、家庭ごとの“らしさ”が出る分だけ豊かなんです。
自分の家族にしかない形がある
もし今、「うちはまだまだ」「できてないことばかり」と思っていたとしても、
どうか自分を責めすぎないでください。
誰かと比べる必要はありません。
“うまくいかない日がある”という前提で向き合う方が、長く、気持ちよく続けられます。
家事シェア研究家として、何百世帯もの話を聞いてきた僕が言います。
「家事シェア、できなくても、大丈夫です」
大切なのは、「どう分けるか」よりも、「どう向き合い続けるか」です。
その先にきっと、あなたの家族なりの形が見えてくるはずです。