"おばあちゃん"と間違われた日
8月の暑いある日、「今日、ちょうど干しあげたところなの」と近所の友人が小瓶に入った梅干しをくれた。2年越しで熟成させた自家製なのだという。瓶を開けてみると、ふっくらしっとりとした梅干しが入っていた。端っこをかじってみると瑞々しくて、梅干しなのに果肉はほんのり甘い。さすが上手だなあ。「庭の梅を漬けてるだけよ」と言うけれど、しょっぱい酸っぱいだけではない奥深い味がする。
わたしと同世代のその友人は「週末にはぬか床作り教室にも行くの」と言ってから「どんどんおばあちゃんになっていくわ〜」と自虐的に笑った。梅干しやぬか床が「おばあちゃん」とかステレオタイプが過ぎるだろうと笑おうとした瞬間、去年の今頃、実際におばあちゃん扱いされたことを思い出した。
昨年の夏、婦人科系の病気で入院したときのことだ。バイタルチェックにやってきた看護師さんが子どもたちの写真に目をとめた。
「あら〜、かわいい! 3歳? 5歳くらいですか?」
いまは中高生になった子どもたちの小学生時代の写真だが、小さいサイズだったので遠目には子どもが写っているということくらいしかわからなかったかもしれない。
「えーとこれは……お孫さん?」
え、孫?! わたしのギョッとした顔に気づいたらしく彼女は慌てて
「……は、田内さん、まだですよね??」
とゴニョゴニョ言うと、笑ってその場をごまかした。
確かにそのときのわたし、貧血でめちゃくちゃ顔色が悪くて老けてたとは思うけども。看護師さんが病室を巡回するときにガラガラと押してくるワゴンの上のパソコンには「年齢47歳」と書かれていたはずなのに「おばあちゃん」と間違われたなんて!
客観的な老いを感じて…「でも、悪くない」
でも、47歳って3歳5歳の孫がいてもおかしくない年齢だよなあ、とすぐに思い至った。わたしの周りには自分を含め出産が遅めの人が多いから自分たちは子育て世代のボリュームゾーンだと思い込んでいるけれど、同級生を見ればとっくに成人した子どもを持つ人も大勢いる。その成人した子どもたちが家族を持てば、40代でもラクラクおばあちゃんになれる計算だ。
とはいえ「いま日本の平均初産年齢が30歳ちょっとと考えると40代でおばあちゃんの確率は低いよ」とか「そもそも出産年齢が高い東京にある大病院の看護師さんにしては不適切な発言だよね」とかおばあちゃん扱いされたショックでブツブツと内心で不満を唱えた。が、まだ遙か先だと思っていた「おばあちゃん」という言葉が意外や遠からぬ地続きのところにある、という現実をつきつけられたことには、なかなか気が晴れなかった。
「最近、字が見えづらくて……すっかりばばあだわ」なんて冗談を言いながら受け入れつつあった自虐的な老いとはまったく違う、現実に人から突きつけられた客観的な老い。わたしが「ママはもうオバサンだから」と言うたびに「ママはオバサンじゃない!」とお約束のようにかばってくれた息子も、そういえば最近はあまりフォローもしてくれない。
そんなわけで「どんどんおばあちゃんになっていくわ〜」と言った友人のことは、それもそうかもしれないなと納得してしまったのだ。でももし彼女が言うように梅干しやぬか漬けを作ることが「おばあちゃん」の技なのだとしたら、それはまったくもって悪くないなとも思う。
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