友人の中には、嫁ぎ先でのお正月、三が日にやってくる親戚やお客様のおもてなしで座る間もなく働き続けトイレで泣いたという辛い体験を語ってくれた人もいるくらいだから、夫婦それぞれの実家のお正月の方針にさほど大きな違いもなく、ほとんどストレスもなかったわたしは本当に恵まれていると思う
それでも、双方の親と、自分たちの家庭とがいる。お正月はどこで過ごし、おせち料理は何を作るのかあるいは買うのか。結婚してもう20年近くも経つのに実はいまだにルールは出来上がらず、手探り状態だ。
おせちの広告が出始める時期になると、今年はどうしたらいいだろうかと気持ちがざわざわし始める。ある年には「帰省もおせちもやめよう!」と決めて家族4人で自宅で年越ししようとしたものの、どうしてもおせち料理がないことが気になってしまい、1月1日の朝4時から大慌てでお煮しめや叩きごぼうなどを作り、簡易おせちをととのえたこともあった。曖昧なことをした挙句に、どちらかの実家に行けばよかったかなとか、どうせならしっかりおせち作ればよかったかなとか、結局はすっきりしない思いが残った。どうやって過ごしても何年経っても、最適解はいまだ見つからず、心の端っこにトゲのように刺さっているような状態のままだ。
今年はコロナのせいかおかげか「お正月は訪ねません。何もしません」と言い切ってしまうことはできる。でもきっとそれでも、ああすればよかった、これをすればよかったと後悔が残ってしまうのだろう。それがわかっているから、今年のお正月はいつもに増して気が重い。
30年前にあのスーパーで七面鳥を買っていた家族はその後どうしたのかなあ、と今あらためて気になっている。1日だけ解凍して、中は凍ったままで無理やり焼いても美味しくないことも覚悟でオーブンに入れたのだろうか。それともお祝いの日を数日ずらしたのだろうか。
まだ若く独身だったカイルは「直前まで七面鳥を買わないのはバカだ」と言い切れたけれど、わたしはその事情をいろいろと想像することができる歳になってしまった。
あのときスーパーでカートに七面鳥を入れていた人たちは、直前まで家族とどこでどう過ごすか迷って決められなかったのかもしれない。夫婦喧嘩をした挙句、急きょ帰省をやめて自宅で七面鳥を焼くことになったのかもしれない。あるいは、今年こそは七面鳥を焼くのはやめてしまおう、と思っていたのに子どもに「サンクスギビングの七面鳥は買ったの?」と聞かれてやっぱり慌てて買いに来たのかもしれない。
「家族のイベントって大変だよね」
「その気持ち、わかるよ」
今になって、あの人たちと肩を叩き合いたいような気持ちになっている。
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