40代以上の8割の人が「一度は経験する」!?ミッドライフ・クライシスで毎日がツライ…を抜け出す方法は?

カルチャー

 原因不明の無気力、絶望感……

2021.08.01

日本唯一の家事シェア研究家・子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタントの三木智有です。「最近、生きるのがしんどい」「やりたいことが分からなくなった」なんてことはありませんか? 一説では40歳~80歳の8割の人が一度は感じるという 「ミッドライフ・クライシス」かもしれません。 

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前回、40代になりいつの間にか人生の目標を見失い、苦しくなった話を書きました。

幸せだし、充実しているはずなのに……と思うから余計にどうして急に!? と戸惑いました。

自分を見失ってしまい、この先の長い人生をどこに向かって、どう歩めばいいか途方にくれている自分がいました。
そしてこれが「ミッドライフ・クライシス」なんだとわかったのです。

身体も、精神も、年齢とともに次のフェーズへと入ろうとしているのを、今もまだ感じています。とはいえ少し前に進んできた実感があります。
今日は同じように感じている方に向け、同士としてそこから少しだけ浮上した経緯をお話したいと思います。

ツラくていいんだ。そんなもんだ

 

急に襲ってきた無気力、希望がないような気分……そのなかで一番ぼくが苦しかったのは、ハッキリとした原因がわからなかったことでした。
そして原因を自分の中にむりやり見つけ出そうとしていたことにも原因があるように思いました。

「これが嫌なんだ」という自分が抱える「負」の部分をまっすぐに自覚できていたら、それを解消する方法を探すことができます。それはそれで大変なことではありますが、悩みと向き合うことはできるのです。

でもぼくの場合は、理由がわからなかった。だから明確な課題があるときのような切羽詰まった緊迫感はない。だけどじわじわと窒息していくような息苦しさがまとわりついていました。

何と向き合えばいいかもわからないまま、現状の不満を探すような日々。

「この仕事が原因か?」「この環境が問題か?」自分が鬱々としてしまう原因を見つけようとネガティブをさがしてしまうことで、ますます気持ちが落ち込んでいってしまいました。

この負のループにはまっていたときが、一番つらい時期でした。

そこから少し開放されたのは原因探しをやめてからです。

「原因はとくに見当たらないけど、シンドイもんはシンドイ!」

一旦、因果関係を探るのを諦めてありのままを受け入れることに、意識を向けました。

このシンドさには必ず理にかなった原因がある。無意識にそんな思い込みを持ってしまっていたから、べつに見なくてもいいような人生の辛い側面を探すことになっていたのです。もともとの苦しさが軽減されたわけではありませんでした。

でも、その苦しさに塩を塗り込むような行為をしなくなった分だけ気持ちは楽になりました。

心と身体のトレーニング

自分が辛い理由がわからなかったとき。自分にできたのは辛さの要因を取り除くことでした。
つまり、消去法的に辛さの原因を消していました。

たとえばミッドライフ・クライシスは、身体の衰えによる体力不足が原因になることもあるようです。
しかし気持ちが落ち込んでいるときは、とてもじゃないけどトレーニングをする気になれません。

でもここで運動をやめてしまえば身体の衰えをますます感じるようになる。
そう思い本当に体調が悪いとき以外は、トレーニングをしています。続けることが自分を励ます力になると実感しています。
身体だけでなく、心のトレーニングも同様に継続しました。

個人的なことですが、ぼくは座禅が好きで毎日の習慣としています。
もう8年ほど家でやったり、お寺の座禅会に足を運んだりしています。ちっとも集中できずに座禅にしっかり取り組めない時期もありました。
それでもこの座禅のおかげで「辛いもんは仕方がない」と現状を受け入れる力になったと思っています。

生活から抜け出す

ぼくの気持ちが少し穏やかになった。その一番のきっかけになったのは娘の登山キャンプへの同行でした。
1泊2日、終始雨降りの山道を1日7時間から9時間……ただただ歩き続けたのです。
携帯の電波も入らない。仕事からもSNSからも開放されて、家事も育児も考えなくていい。できるのは、目の前の一歩を濡れた道で滑らないように踏み出すだけ。

キャンプから帰ってから、気持ちがずいぶんと軽くなっていることに気が付きました。実に数カ月ぶりにモヤが晴れ、さっぱりした日を過ごすことができたのです。

山道を歩くように、とにかく一歩を踏み出すことに集中すること。
その道がどこへ向かおうとも、いま滑らずに歩く。そのことに集中する感覚。頭ではなく、体感としてそれを感じることができたのです。
自分の意思の力だけで日常から抜け出すのは難しい。

でも、電波の入らないところでリラックスしたり、目の前の一歩だけに集中せざるを得ない環境に身を置くことは深いリラックスを与えてくれるかもしれません。

次回は、リラックスから一歩進んで少し光が見えてきた、その理由について書きたいと思います。

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著者

三木智有

三木智有

NPO法人tadaima!代表 日本唯一の家事シェア研究家/子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタント 家事シェア研究家のnote:https://note.com/tomoari_miki

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