クライシスは突然に
「なんか調子悪いの?」
妻からそう心配されることが増えた。だけど別に体調が悪いわけでもなければ、仕事で大きな問題を抱えているわででもない。
相変わらず娘は可愛く、家族の関係だってうまくいっている。
いま、自分の人生を振り返ってみると、小さな課題はあるが大きな不満はない。客観的な視点に立てばそれは「幸せな人生」と言えるだろう。
なのにだ。
ここ最近ずっと、小さなことでイライラしてしまう。
例えばこんな、子どもがいればほぼ毎日繰り広げられるであろう、子ども特有の理不尽を振りかざしてきたとき。
「今日の夜ごはんはお魚だよ」
「えー、今日はお魚を食べたい気分じゃない」
「じゃあ、もう食べなくていいよ」
いままでなら、娘が好き嫌いで文句を言っても投げ捨てるような言い方なんてしなかったのに。
例えばこんな、仕事中のたわいのない会話で。「三木さん、以前お話していたこの件についてなんですけど」
「え、何回同じこと言わせるんですか?」
いつもなら、チクリと一言なんてことはなかったのに。
これまでは「よし、がんばろう!」と思えた仕事も、家事も、育児も、ものすごく味気なく、いつまでも続く同じような日常に思えてしまう。
一日が終わる頃には、ムッツリと黙り込み、話しかけられても適当に相槌を打つ程度になった。
妻はそんなぼくを、心配するようになった。
「それって、ミッドライフ・クライシスじゃない?」と。
子どもも小学生になり、子育ても一息ついた。
仕事も落ち着いて、余裕を持てるようになってきた。
そのおかげで、両立はいまだ大変ではあるけれど、数年前のような「嵐の渦中」感もなくなってきている。
ここからが自分の人生だ!
頭ではそう思うのに、頭の中に靄がかかったように、目の前に広がる世界は色彩を欠いているように感じるようになった。
40代の壁ってなんだよ!?
40代になり(もしくは近くなり)何が原因かよくわからないのに、日々がしんどい、毎日が苦痛、という思いをしている人はいるでしょうか。
「40代の壁」「中年の危機」「ミッドライフ・クライシス」。中年期になり心理的不安定な状態に陥ってしまうことを、そう言うらしいと、調べてみて知りました。
体力の衰えに始まり、仕事上での自身の可能性の限界や親の介護などの問題、ホルモンバランスの崩れによる更年期症状(近年では更年期症状は女性だけではなく、男性にも生じるらしいですね)……色々と原因はあるようですし、人にとって様々な背景があり、構成される要素も違うと思いますが、概ねこういった「20代、30代などの若い時には感じなかった心身の変化」により「ミッドライフ・クライシス」になる人が増えるんだそうです。
これまで「成長」し、「発達」し続けてきた自己が「停滞」し「下って」行く。その岐路に戸惑い、「自分とは何なのか」とアイデンティティの混乱を招くことは珍しくないようです。
ぼくはいま、41歳です。
これまで目の前に立ちふさがる壁に必死に食らいつき、登ってきました。
そしてふと目の前を見渡した時。そこには、真っ白な平原が広がっていたのです。
「あれ? ここが頂上?」あっけなさと不安が自分の中に生まれました。人生の頂点は、やってきたことの成果や成功の度合いではなく、年齢的な折り返し地点として訪れてきた気がしています。
「ここいら辺で、自分のこれからの人生についてちょっと考えてみないといけないかな」
冷静になってみれば、思うのです。
上り坂が終わりかけているのに、そのことに気が付かず、踏み出す一歩に手応えを感じられない。その達成感のなさが不可解で、不安に襲われているのだということに。
「不惑」が40歳だなんて、くそくらえ!
この1年。京都から東京への移住、それに伴う人生の目標転換、新生活の開始に伴う忙しさ……個人的にはいろんなことがありました。
ぼくだけではありません。40代前後で大きな転機を迎える人は周りにもたくさんいます。キャリアの転向をする人、移住をする人、あらためて自分の人生について考え直す人……。
みんな「不惑」どころか、大いに迷い、悩み、あらたな人生を作り上げる道へと踏み出していますよね。
クライシスとは「危機」だけでなく「岐路」「分かれ目」という意味でもあります。
「40になったって迷っていいんだ」と納得することが、ぼくのミッドライフ・クライシスと向き合うスタート地点でした。
ぼく自身、まだこのミッドライフ・クライシスを乗り越えたとはとても言えません。
まだ自分の行く末への迷いもあるし、日々の無気力感にぐったりしています。
どうすればいいのか、誰にでも効果のある答えはないかもしれませんが「迷ったって良い、人生は長い!」そう思って向き合っていくしかないですよね。
でも、あることをきっかけに少し楽になることができました。
次回は、このクライシスから楽になった経緯をお話したいと思います。