先日、ある未婚の男性と話をしていたとき。
「結婚したからって、自分の予定を全部管理されるのは嫌なんですよね」と言っていました。
思えば、ぼくも結婚する前は彼と同じように思っていたし、それが結婚は不自由であるという思い込みにも繋がっていました。
「時間を管理されないことこそが、自由の証」
そうした何気ない思いが、じつはパートナーから自由を奪う考えであるってことに気がついていなかったのです。
スケジュールを共有しないということは、相手を軟禁してるのとほぼ同じ結果に
相手を「束縛する」とか「拘束する」「自由を与えない」と言うと、なんでもかんでも口出しをして「勝手に出かけちゃダメ!」「どこで、何するか逐一教えて」と行動を徹底管理することを思い浮かべます。
結婚前のぼくは「自分はそんなことはしない。お互いに自由であればいいじゃん。干渉し合わないんだからフェアな関係だよ」と思っていました。
でも、いつ帰ってくるか、いつ一緒に過ごせるか、がわからないまま共に生活をするのは「一緒に過ごしたい」と思っている人にとってはとても苦痛なのです。
夕ご飯を食べるのかどうかわからなければ、準備するかどうか迷います。
「べつに用意しておかなくてもいいよ」と言うかもしれませんが、いないならともかく、万が一早く帰って食事の時間が一緒になったときに自分の分はあるけど、相手の分がないというのは気まずいものです。
それで相手が「じゃ、外で食べてくる」と家から出ていけば「家族ってなんだろう?」と家に残された側がすれ違いを感じてしまうのは、当然のこと。
まして、子どもが生まれたら。
パートナーがいない間は、ずっとひとりで子どものお世話をすることになります。
それはつまり、片方が自由であるとき、もう片方は自由を奪われている、ということなのです。
結婚をしたら時間は「家族の共有財産」になる
自分が自由に過ごせる時間は、パートナーの時間を使った上で成り立っている。
こうした感覚を夫婦で持てているかどうか。たったそれだけでコミュニケーションが変わってきます。
「仕事なんだから仕方がない」「仕事を優先させて何が悪い」「子どもが最優先で当たり前」「家のことをもっと大切にして欲しい」
これら時間の「中身」の話をする前に、まずは時間の「枠」、つまりスケジュールの話をすることができるようになります。
大切なのは、仕事だから、子育てだから、優先されてしかるべきではなく、「時間」という有限の共有財産をお互いがどう分け合うかのはずです。
子育て家族の時間には3つの顔がある
独身時代。時間は「仕事」と「プライベート」時間にはふたつの顔がありました。
結婚をすると少し視点が変わります。「仕事」と「プライベート」は「自分の時間」に統合され、「自分の時間」と「夫婦の時間」になります。
そして子どもが生まれると、「夫婦の時間」は「家族の時間」へとアップグレード。
さらに「保護者の時間」が加えられ、「自分の時間」「家族の時間」「保護者の時間」の3つの顔を持つようになります。
保護者の時間とは、保育園の送り迎え、保護者面談、運動会など子どもにまつわる行事や、習い事の送り迎えなど。さらに子どものお世話をする時間なども含まれるでしょう。
1日はどうしたって24時間しかないのに、こうして時間が持つ顔は増えていきます。
たとえばここに、「介護の時間」などが加われば何かが大幅に削られることは目に見えています。
これが、時間の枠です。
スケジュールを夫婦で共有するときに大切なのは、その時間の裏でパートナーがどういう時間を過ごしているかです。
自分が残業をしている間、パートナーが自由な時間を好きなように過ごしているならともかく、保護者の時間をひとりでこなしているとしたら。それは、自分の残業がパートナーに負荷をかけていることに繋がります。
自分が遊びに出かけているとき、勉強のためにどこかに通っているとき、パートナーも自由に過ごしているでしょうか。それとも保護者の時間や介護の時間を過ごしているでしょうか。
それが悪いということではありません。
自分の時間は、パートナーの自由時間と引き換えに得られているのだという意識こそが大事なのです。
そして、お互いに自由時間をプレゼントし合ったり、保護者時間を担い合ったり、家族の時間を楽しめばいいと思うのです。
もし、夫婦で時間の感覚がずれてる、噛み合わないと思ったら。
この時間の3つの顔のことを思い出してください。そして、そうした話をしてみるのもひとつのキッカケになるかもしれません。