前回のこのコラムで「根気と体力がなくなってきた」と嘆いたわたしだが、それを改善すべくチャレンジしていることがある。
「朝ごはんをきちんと食べる」ことだ。
(その様子は「たんぱく質で朝ごはん」という連載でお伝えしています。)
「そんなの、当たり前じゃない。料理家と名乗りながら朝ごはんもちゃんと食べていなかったの?」
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
はい、まったくその通りです。
子どもたちにはかろうじて食べさせてはきたけれど、わたし自身の朝ごはんといえば、長らくいたってお粗末なものだったのだ。
元から朝は苦手で、朝ごはんが美味しく食べられる方では、実はない。
加えて、子どもが生まれてからというもの、なかなか食べ進まない子どもに食べさせるうちに、見ているだけでなんだか胸いっぱいに。
自分は子どもの食べ残したものだけをつまむような朝ごはんの食べ方になっていった。
さらには、保育園に通わせる毎日はとにかくバタバタで一緒に朝ごはんを食べる余裕なんてとてもない。子どもたちが食べる様子を横目で眺めながら、わたしは慌ただしく子どもの荷物の用意や自分の身支度をして。
そうしてロクに朝ごはんを食べない生活を10年以上も続けていた。
最近でこそ在宅仕事も増え、子どもたちも成長し、朝の時間に余裕は生まれてきた。けれどやはり、わたしは朝ごはんをきちんと食べないままだった。
高3になった娘は学校で自習をするために6時に、中3の息子は遅刻ギリギリの8時に朝ごはんを食べる。家族の寝静まった深夜から自分の仕事を夜通しすることを好む夫は、元から朝は食べない。わたしは子どもたちどちらか片方と一緒に食べるのもなんとなく不公平な感じがして、相変わらず、二人が出かけたあとにちょっと食べたり食べなかったり。
そうして気付いたら。
わたしは栄養失調になっていた。
40代に入ってから、ずっとだるかった。
夕食の片付けをしなくちゃ、とキッチンを眺めるのだけれど、そのために立ち上がるのがどうしてもしんどい。
夕方以降、ソファにへたりこんだら動けない。
夜も早々に眠くなり、すぐにうたた寝。
ひどい時には床に転がってそのまま寝てしまう。
え、私このまま萎むように弱っていってしまうの……?
これが加齢なの?
絶望的な気持ちになっていたときに「隠れ栄養失調」という言葉を知った。
文字通り、隠れていて見えづらいけれど栄養が明らかに足りない状態のことで、中高年の女性に多いと見られているらしい。
日々料理をし、家族には食べさせている。
…のだけれど実は自分ではきちんと食べておらずに栄養バランスが崩れているため、だるい、やる気が出ない、が特徴だそうだ。
わたし、もしかしてこれなのでは……?
「もうそろそろ年だし、そんなに肉や魚も食べなくていいか」と勝手に判断をして、食べ盛りの子どもたちに「もっと食べて」と自分の皿からも分けたりしていたわ、そういえば。
思い返してみると、なんだか体調が悪いなと感じるようになったのは、40代に入った頃からだったように思う。
もしかすると30代にはすでにそうだったのかも知れないけれど、当時はまだ子どもたちは未就学児。日々保育園に送り仕事をして。1日を終えることで必死な状態で、自分の体調が悪いということに気づく余裕すらなかった。
上の子が小学校に上がって一息つき、自分も40代に入って
「あれ、しんどいかも」
と初めて我がことに目が向いたのだ。
でも仕事も子育ても慌ただしいし、もう40代だし、みんなこんなものなのだろうと思っていた。
その不調、年のせいだけではなかった?
はっきりとした症状が出始めたのは6年くらい前のことだ。
料理教室などでもぼんやりすることが増え、教室の生徒さんの名前が途中で出なくなってしまったり、次にやることが頭が真っ白になってわからなくなったりし始めた。もしかして脳の病気なのかと疑ったりもした。
いよいよまずいかも、と思ったのが3年前。
受験生だった子どもと一緒に学校見学に行っても、駅から学校までの道のりがだるくてだるくて、花壇のへりだろうと座れるスペースを見つければすかさず座って休む。ようやく自宅への最寄駅に戻ってきても、電車を降りたあとに階段を上りきれない。
当然、仕事にも支障が出始めた。
最後の詰めが甘く消化不良の仕事で失敗してしまったり、どうしても朝起き上がれず遅刻してしまったり。謝れば謝るほど、後ろめたさからますます空回りが増えていく。そうすると、人との対等な関係とか信頼も少しずつ揺らいでしまい、ますます自信を失っていった。
ささいなことでも夫と揉め、親ともすぐに喧嘩になる。
あまりにもヨレヨレな私を可哀想に思ってくれたのだろうか、子どもたちはかろうじて反抗しないでいてくれたのがせめてもの救いだった。
焦れば焦るほど悪いことが重なる負のスパイラル状態。
「いっそ『いっつも体調悪い〜』ってグダグダのしんどい芸で書いていけば?」
と夫に笑われるくらいに「体調悪くてしんどい」がデフォルトになっていった。
そんな中、経過観察中だった子宮筋腫がもうムリ!と言うところまで育っていたことが発覚した。つまり、ひどい貧血状態だったのだ。
悪性腫瘍が同時に疑われたこともあり不安もあったけれど、ようやく不調原因がはっきりしたことにどこかほっとしていた。幸いにも腫瘍は良性で手術も無事終わったし、これできっと、順調に回復すれば何もかもうまく行くようになるはずだわ。
ところが、そうは問屋が卸さないのが、体力下り坂の40代後半だ。
そうだ、朝ごはんを食べよう
貧血が改善したことで駅の階段は上れるようになった。
けれど、依然として何事にもやる気が出ない。
年齢的にも仕方ないのかな。でも、このままズルズルとペースダウンしていくのはいや! かといって、そこまで気力が落ちると体力作りにジムでも行くか、という一歩すら踏み出せない。
そうしてグルグル迷ううちにも、毎日はあっという間に、両手から滑り落ちるように過ぎていく。なんとか。なんとか人並みの生活をしたい!
そこにふと差した一筋の光が、朝ごはん改革だったのだ。
ここ10年以上、わたしは朝ごはんをきちんと食べてきていない。実績としてほぼゼロなのだから、そこには伸び代しかないではないか! 「人生折り返し」「老化」と暗い気持ちになるワードばかりに目がいく弱気なわたしにとって、明らかに上積みだけがある道筋はぴかぴかと輝いて見えた。これやん。
貧血治っただけで、よく考えたらほかの栄養はまだ足りてないかもしれないし。
体の土台から作り直せば、ワンチャンあるかもよ?
まさかの「お母さん病」で卵が使えない?!
ところが。
「朝ごはんを食べよう!」と決めて「いざ」と冷蔵庫を開けても何を食べてよいのか、まるで浮かばない。それどころか、自分のために卵1個を使うことにも罪悪感が芽生えてくるではないか! 卵やハムなど「これは子どもが食べられる」と思った瞬間に「私が食べるなんてもったいない」というストッパーがかかってしまうのだ。
子どもたちが小さい頃、よく夜中に、おやつを自分一人で食べていた。
いつの間にか子どもたちにもそれがバレて「ママ、このお菓子、また夜中に食べたらいいんじゃない?」なんて当時保育園児の娘に気遣われたほど食い意地がはったわたしなのに、朝ごはんに卵1個を使うことを躊躇してしまうとは。「自分のもの」と最初から分けてあるものならばいくらでも強欲になれるけれど、家族のための食材を自分だけに使うことはできないらしい。まさかの自分の遠慮深さに驚く。
でもそういう方、実は多いのではないだろうか。
現にわたしの友人(30代)も「子どもと夫の分しか、目玉焼きは作らない」と言っていたくらいだ。
子どもを持ったとたんに、子どもを最優先にして自分のことは後回しにするのが、多かれ少なかれ「お母さん」という人種の性癖なのだろう。「自分勝手だ」と夫にも子どもにも言われている私でさえ、自分のために卵一個食べることを躊躇うのだから、世の真面目なお母さんたちはさぞやと想像する。
そうした18年の積み重ねの結果なのだ。
ただでさえ身体のリズムが変わってくる40代後半。若い頃には、無理をしても朝ごはんを食べなくても子どもを最優先にしても、なんとか体もついてきたものが、ついに体力貯金がつきてしまっていたのかもしれない。
手術に至るほどの体調不良になる前に、踏みとどまる方法はいくらでもあったはずなのに。婦人科系疾患が食べ物で防げるのかはわからないけれど、睡眠不足や運動不足、栄養不良から来る体の冷えや血の滞りなど、やはり無関係ではないのではないかと思う。
私の不調は決して人ごとではないですよ、みなさん。
さて、朝ごはんをしっかり食べよう、と決めてから数ヶ月をかけて自分の生活を矯正したわたしは、前のように「これは子どもにとっておこう」なんて遠慮はもうしない。それどころか「それ、ママの朝ごはん用だから置いといて」と欲張り、子どもよりもよほど豪華な朝ごはんを食べてる日もあるくらいだ。
だって、いい加減な食事をしてまた体が弱り、気持ちも弱ったら、小言を繰り返したり弱音を吐いて寄りかかったりして、これから巣立っていく子どもたちに迷惑をかけるかもしれないからね。
子どもを無事に社会に送り出す。そのときに子どもが安心して置いていける母親でいる。それも大切な親の仕事だったんだと、子育ての終わりが見えてきた今になって気づく。
そう。わたしがしっかり食べることは、子どもたちのためでもあるんだ。