教えてくれたのは……南直哉さん
南直哉(みなみ・じきさい)禅僧、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職
1958年長野県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から約20年、曹洞宗大本山・永平寺での修行生活のあと2005年より恐山へ。小林秀雄賞を受賞した『超越と実存』(新潮社)などの多数の著書で知られている。
『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本 』(アスコム)
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その欲望を突き詰めて考えよう
どんなに豊かな生活をしていても尽きることのない欲望、欲求。どんなにほしいものを追いかけても、その思いの背景にある理由に気づくことができなければ、心が満たされることはないのかもしれません。
禅僧・南直哉さんは「何が自分に、そう思わせているのか、きちんと見極めないといけないのです」と言います。
「ほしい、ほしい」と言っている人にどんな理由があってほしいのかを尋ねても、はっきりとしない言葉しか返ってこないことが多いのだそう。話を煮詰めていくと、じつはあっさりと手に入るものを「ほしい」と言っていることも……。
「私は心安らかな毎日がほしいだけなんです」という欲求を語る女性の話を南さんが突き詰めると、「朝7時頃に起きて、ゆっくりお茶を飲んで、朝食をきちんととって……」というのが具体的に欲している生活でした。今からでも実践しようと思えばできる生活に思えますが、さらに南さんが突き詰めて話を聞くと、「8時にしか起きられず、朝はバタバタ」「忙しくて寝るのが遅いから、早くは起きられない」「時給で働いているから、働く時間を短くはできない」ということがわかりました。
この場合、平穏な生活と収入という2つを比べ、自分にとって優先順位が高いのはどちらなのかを考える必要があります。
朝ゆっくり過ごせる生活を送りたいのなら多少の収入減は受け入れなければならないし、お金がほしいのなら、慌ただしい生活は仕方ないと考えて、しっかり働く。そのどちらかを選ぶ以外はないのです。
自分が何を求め、何を大切にしたいかを明確にしましょう。それがわかっていないと、漠然とした不安となり、「何か」が手に入れば幸せになれるという勘違いにつながってしまいます。
危険!その欲望は強い不安のあらわれ
「豪邸がほしい」「有名になりたい」など本人も明らかに無理だと思っていることや非現実的な夢を口にしてしまうことはありませんか? 南さんは「そんな人たちの共通項は、満たされていない"何か”があり、きわめて不安定な状態が続いていること。そして自身が不安であることにすら気づいていないことです」と言います。
「こんなはずじゃなかった!」「このままでいいのかなぁ」そんな漠然とした不安を置き換えるためにあるのが「ほしいもの」なのだとか。つまり、それは強い不安のあらわれであり、「自分の生活を思いどおりにしたい」という欲望なのです。
ミニマリストもゴミ屋敷も根本は同じ?
南さんは「自分の生活を思いどおりにしたい」という意味では、ここ数年流行しているミニマリストの考え方も同じだと言います。ミニマリストとは、物を極力持たない暮らしをする人のことで、物どころか、家具さえほとんどない殺風景な部屋で暮らす人もいます。
極端なほど物を削ぎ落した暮らしの根本には「対象を思いどおりにしたいという欲望」があって、物を捨てる行為は「物を所有したい」という欲望と同じで「思いどおり」に「捨てる」ことが含まれていると南さんは考えます。「本質を見れば、そういったシンプル過ぎる部屋は、ガラクタであふれるゴミ屋敷と変わりありません」と南さん。
どんな生活をするのも個人の自由ですが、物事が自分の思いどおりになることは少ないのが現実です。一番大事なのは、自分がなぜ「ほしい」と思うのか、あるいは「捨てたい」と思うのかではないでしょうか。その理由が自分でわかっていなければ、どんなにほしいものを追いかけたり、ミニマリストになってみても問題はちっとも解決しません。
目の前の欲望を漠然と捉えるのではなく、話の次元を変える必要があります。
南さん「自分はいったい何が不安なのか。どのような状況が自分を不安にさせているのか。手間と時間をかけてきちんと考え、見極めないといけないのです」
「これがほしい」「こうなったらいいのに」と欲求ばかりの人は要注意! 一度立ち止まって自分の気持ちを突き詰めてみましょう。そして自分の生活にとって、なにが大切なことなのかを改めて整理してみましょう。そうすることで、満たされなかった思いや漠然とした不安、思いどおりにしたいという欲望が少し解消されるかもしれません。