女子美短大卒業後、お芝居の道へ
「学生の時には、会社訪問にも行ったんです。でも実際に目にしたら、パソコンの前でひたすらモニターを見ながら働く毎日には耐えられない、無理だと思って…」
女子美術短大出身の小そめさんに就職の経験は?と聞いた時の答えだ。
「浪曲」というと、今では少し奥まったところにあるツウ好みの芸能という印象だが、落語、講談とともに「日本三大話芸」として古くから親しまれ、昭和初期には圧倒的な人気を誇っていた。就職は見送ったと聞いて、2013年の入門までの話を続けてもらった。
「在学中から芝居をしていました。最初は裏方をしていましたが、そのうち舞台にも出るようになって。」
てっきり「小さなころから人前に出ることが大好きな目立ちたがり屋さん」だったのかと思いきや、実は大の人見知り。
学校が苦手…の、人見知り
学校には行きたくないが、時代は昭和。『学校に行かない』選択肢はない。毎日遅刻しながら登校はするものの「集団の中でのふるまい」と「何しゃべったらいいのか」がわからない日々が続いた。
そんな彼女がなぜ、芸の道に?それも養成所ではなく弟子入りを選んだのか聞いた。
「実は、浪曲の前にチンドン屋さんに弟子入りをしていたんです。そこで楽器を吹いていた劇団のOBの人に誘われて。」
「知らないことをやってみたい」という欲求、加えて「人見知りを克服せねば」という気持ちもあった。
チンドン屋歴は30年!
軽いバイト気分で訪ねると、親方(師匠)に「今日から弟子だからな!」と言われ入門。ちょっと不良っぽい親方の下、理不尽に思うことや、上下関係が絶対!の世界に最初は違和感も。しかし、小そめさんにとって親方は、そんな厳しさを超えてしまうほど面白く魅力的な人だった。
「師弟というのは、お互いとても密な関係で、キレイごとじゃない部分を日々目の当たりにするわけです。私にはクラスメートの距離感よりも、もっと近くでお互いがより知り合える、こんな間柄、身内のような感覚がが心地いいな、と気づきました。」
チンドン屋として独立!
26歳で結婚、1997年には独立して「ちんどん月島宣伝社」を立ち上げ…と、小そめさんの人生はなかなか浪曲にたどり着かない。
「趣味で浪曲は聞いていて、何度か通ううちに港家小柳師匠の名を見つけて男か女かもわからないまま(笑)行ってみたら、とにかく凄くて!最終的には『えっ?終わっちゃう?もう終わっちゃうよ~』みたいに物凄く名残惜しくて、ずっと聞いていたくて。」
港家小柳師匠との出会い
小柳師匠の芸は物語に入り込む憑依型。小そめさんの言葉を借りると「お祭りみたいに見ている人を巻き込む臨場感とグルーブ感」が、胸を打つ。小そめさんを中心に浪曲界の8年間を追った映画「絶唱浪曲ストーリー」試写会では、小柳師匠の浪曲場面で拍手が沸いたほど。
映画の中で、ご自身の名披露目(前座卒業の会)の口上にもあったように「惚れて惚れて」弟子になったという、小そめさん。
44歳で弟子入り「してしまった」
「ある会に潜り込んで、師匠の隣に座り『浪曲教えてもらえないですかね?』と言ってみたら、師匠は『わははは~』って笑ってたんです。そうしたら、その隣にいた今も101歳で現役曲師(三味線)の玉川祐子師匠に『あんたは浪曲師になるんかい?』とツッこまれて…ホントはカルチャースクール的なつもりだったんだけど…ここでNOと言ってしまったら終わりだと思って(笑)『はい』と言ったら『木馬亭にいらっしゃい』と。これが44歳の時ですね。」
今回も弟子入りを熱望していたわけではなく、むしろ「してしまった」のだと笑う小そめさん。当時すでにチンドン屋の親方は亡くなり、密な人間関係を失った寂しさを感じていた。浪曲の師匠となった小柳師匠は10代から旅回りで芸を磨き、たたき上げの芸人の風格があった。
そんな師匠の晩年が映画「絶唱浪曲ストーリー」で描かれている。
映画として世に出ることへの葛藤
「師匠が舞台を途中で降りる場面や、廃業を決めたところを映像として世に出すことには近くにいた者としては抵抗があって…でも、師匠の芸を映像に残せたし、大勢の方に見てもらえたのは本当にうれしい。映画のおかげもあって、最近お客さんが増えたんですよ。『今のお客さんに師匠の芸を見てもらいたかったな』って思いますね。」
2018年に港家小柳師匠は亡くなった。
まだ弟子入りから5年目。後ろ盾を失った小そめさんは心細かったに違いないが、そんな中で大きな決断をする。物語を語る浪曲師ではなく、三味線をそれに合わせて弾く曲師の玉川祐子師匠の弟子になると決めた。一門を超えた弟子入りのあと、名披露目が行われた。先輩浪曲師の後援会の人たちや小柳師匠とつながりのあった人たちの尽力で、映画の中での表現を借りると「お赤飯みたいにビチーッと隙間なく」お客さんが集まった。
そこでも語られていたが、100歳を超える祐子師匠には高齢のため、さまざまな場面でのサポートも必要になってきている。そんな役割を担っているのが小そめさんだ。
「祐子師匠の弟子になると決めたときに腹をくくったので、できる限りのサポートはしています。本当は小柳師匠が亡くなった後、同じ浪曲師の師匠にお世話になるのが筋なんだけど、小柳師匠はいつも祐子師匠の家に寝泊まりさせてもらいながら東京の舞台に上がっていたほどの親友だし、その弟子の私のこともとても可愛がってくださっていて愛情が深くて…他の人を選べなかったんですよね。」
101歳でブレイク中の玉川祐子師匠
そんな祐子師匠、本が出版されたり、101歳の誕生日に笑点に出演したり、と現在ブレイク中。
映画のトークショーにも師弟コンビで登場する。
「取材の日時の確認とか、トークショーでのやりとりをお手伝いをしているので、だんだん祐子師匠の考えていることがわかってきて、今じゃもう祐子マスターですよ(笑)。」
きわめて自然にお手伝いの様子を話す姿に、ふたりの絆を感じ、頷いていると「そういえば、この間祐子師匠が…」と話してくれたエピソードに鳥肌が立った。
生まれ変わっても「三味線弾かせて」
祐子師匠が「小そめちゃんが生きてるうちに、私は死んで、また早く生まれ変わりたい。」と仰ったのだそう。そして「小そめ師匠、三味線弾かせてくださいって、あんたのところに来なきゃね。」と。
「101歳なのに、生まれ変わってもまだ弾くんだ、私のところに来るんだ!ってびっくりしちゃって(笑)でも本当に生まれ変わってきてくれそうでしょ?祐子師匠は浪曲と三味線が、芸がこんなにも好きなのか…『ああ、死んでも終わりじゃないんだ』って思えてすごくうれしかったんですよ。私、長生きしないと(笑)ずっと続けないとね、来世の師匠がやってくるんだから、心して待ってないとな!ってね(笑)。」
8年間の浪曲界を描いた「絶唱浪曲ストーリー」を撮った川上アチカ監督は「人と人との境界が淡いところを見てほしい。」と仰っていた。
親方と小柳師匠と祐子師匠…チンドン屋、浪曲師、曲師と芸の違いはあれど、そのスピリッツは小そめさんにも確かに宿り、また来世には?祐子師匠の生まれ変わりの曲師にも脈々と芸と愛情の泉は受け継がれていくに違いない。
お話を伺ったのは…浪曲師 港家小そめさん
埼玉県出身。女子美術短期大学卒業後、台東区のちんどん屋二代目瀧廼家五郎八親方に弟子入り。1997年に独立、「ちんどん月島宣伝社」旗揚げ。ちんどん屋として日本各地で活動。2013年夏、偶然入った浅草・木馬亭浪曲定席で港家小柳の浪曲に感銘を受ける。2013年9月に入門し、2014年9月に初舞台を踏む。2019年6月木馬亭にて名披露目興行。
映画「絶唱浪曲ストーリー」
10月21日(土)大阪シネ・ヌーヴォX、11月4日(土)〜東京ポレポレ東中野 他全国公開中
出演:港家小そめ 港家小柳 玉川祐子 沢村豊子 港家小ゆき 猫のあんちゃん 玉川奈々福 玉川太福 ほか
監督・撮影・編集:川上アチカ
プロデューサー:赤松立太 川上アチカ 土田守洋
アソシエイトプロデューサー:秦岳志 藤岡朝子 矢田部吉彦 編集:秦岳志
整音:川上拓也
カラリスト:西田賢幸
本編タイトル:大原大次郎
写真撮影:五十嵐一晴
協力:木馬亭 (一社)日本浪曲協会
配給:東風
文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業
2023年/日本/111 min/DCP/ドキュメンタリー/英題:With Each Passing Breath
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