お話を伺ったのは…冨吉恵子さん
大学生の息子を持つ母。大学では国文科を専攻しながらも、就職前に英語の力を付けるためにアルバイトで貯めた自前の資金でカナダやアメリカでホームステイを経験。大手家具メーカーに就職後はインテリアコーディネーターの資格を取得し、その後フリーランスで活動。2017年より、ギフテッドの子どもたちを持つ保護者のネットワークとして立ち上げた一般社団法人ギフテッド応援隊代表理事を務める。
ギフテッドの子どもたちが苦手なこと
ーー一般的にギフテッドというと、IQが高いなど、平均よりも何らかの「能力が高い」子どもたちを指しますよね?支援が必要なのでしょうか?
冨吉さん:確かにIQが高い子の場合、幼いうちから文字や計算に親しみ、他の教科も理解が早く学習には苦労することは少ないかもしれません。でも反面、集団行動やコツコツ反復学習をすることが苦手だったり、学校生活に馴染めない子も多く見られるんです。「賢い」と言われるのがいやで、わざとできないフリをしたり…実はしんどい事も多いんです。
ギフテッド1歳3ヵ月のエピソード
ーー冨吉さんの息子さんもギフテッドとお聞きしました。実のところ、高IQと言われてもピンとこないのですが、どんな特性があるのでしょう?
冨吉さん:1つエピソードをお話しすると…息子が1歳3ヵ月くらいの頃、遊びに熱中している時を見計らって、30分ほどリビングから離れていたんです。そうしたら、私の携帯に電話をかけてきたんですよ(笑)。
ママ大丈夫かな?そうだ電話だ!
ーー1歳というと、まだおもちゃの電話で遊んでいる頃ですよね。普段から電話をかけることはできたんですか?
冨吉さん:いえ、初めてですね。もちろん自分でかけられるとは思っていないので、番号も伝えていませんし、まさか!と驚きました。
ーーママの携帯番号はどうやって知ったんでしょう?
冨吉さん:固定電話の近くに番号を書いて貼ってあったんですね。でもまだ1歳だし、数字がわかるとも、メモを見てボタンを押せるとも思っていなかったのでびっくりです!ただ、まだうまく喋れないから「ふぅふぅ、あ~~」とか(笑)赤ちゃんなんですよね、そこは。で、リビングに戻ると泣きもせず待っていて、「ごめんね、ひとりで不安だったね。」と声をかけたらこっくりとうなずいていました。
小さい頃は友達ができにくい…
ーー1歳でその能力があるということは…「みんないっしょ」が基本の学校生活では辛い思いをされたのでは?
冨吉さん:周りの子どもたちと興味を持つことが違ったり、話題が噛み合わなかったりで、子どもの頃は「他者と関係を築く」ということがしっかり経験できていないケースもあります。ただこれは多くの場合、成長と共に解消していくんです。息子の場合は起立性調節障害で不登校になったとき、心配して友だちが様子を見に来てくれたのがうれしくて「相手の気持ちに気づく」きっかけになりました。今、周囲との関係でご苦労されている方がいらっしゃったら「きっとわかる時が来るからね」とお伝えしたいです。
ギフテッド応援隊を結成!
ーーそんなご苦労があって、ギフテッド応援隊を立ち上げられたんですね。
冨吉さん:海外にはギフテッドのために特化した教育がありますが、日本にはありませんし、情報も少なく、当事者とそれを支える保護者の不安や心配は尽きません。そうした親子が孤立せず笑顔でいられるよう、私たちはさまざまな事業を行っています。得意なことがある反面、極めて繊細な面を併せ持った子たちであるということを、多くの人に知っていただきたいという思い、それぞれの個性を大切にする教育が展開されることを願っての活動です。
ーー先日拝見したイベントでは、子どもたちが偉人の言葉についてのクイズや液体窒素を使った実験などに実に生き生きと取り組んでいましたね。
冨吉さん:学校教育とはまた違った体験を通して、学びの楽しさを実感してもらいたいですね。保護者の方にもここでつながりを持って、居場所にしてもらえたら…と思っています。
従順な「いい子」のはずが…
ーーところで、ご自身はどんなお子さんだったんですか?
冨吉さん:母親の言うことをよく聞く「いい子」だったんですが、大学生になった途端に爆発して(笑)。
突然?反抗期!
ーーえっ?爆発?
冨吉さん:大学に入って自由を手に入れたら「今まで我慢してたんやわ!」と、それまでの不自由さに気づいて(笑)フリルやリボンの服を着せられていた自分をかなぐり捨てて(笑)実は社交的な自分の個性に気づいたのもこの時です。お酒もけっこういけるし(笑)ジャズBarにひとりで行ってみたり、バイトで貯めたお金でカナダにホームステイもしました。この時の目的は「英語を話せるようになって自分の世界を広げるため」だったのですが母には「必要ないでしょ?」と全く理解してもらえないし…
ーーお母さん好みの服を高校までは着ていたのなら、仲良しだったのでは?
冨吉さん:というよりも(笑)支配されていたような。とにかく母の言うことが絶対で服以外にも、進学先とかボーイフレンドのことまで母の思い通りでないといけない空気がありました。
母の言葉に疑問を感じた、あの時
ーー自分の育てられ方に疑問を持ったと?
冨吉さん:もしかして私は親の意見に縛られつづけているんじゃないか?と思ったのは、実際に自分が子育てをし始めてからですね。
ーーその気付きには何かきっかけが?
冨吉さん:息子が小学校の時に、担任に陰で酷いいじめを受けていたことがあって、実は私は担任の行動にうすうす疑問を思っていたにも関わらず、母が「あんなにいい先生はいないわよ」と言っていたので「そうかな…」と受け入れてしまっていたんです。私の判断が遅れたことで、息子には長いこと辛い思いをさせることになってしまい、とても後悔しました。
もう言いなりにはならない。
ーー長い期間の呪縛からの脱出は、相当なパワーが必要だったのでは?
冨吉さん:もう一切母の言いなりにはならないと決めたので「私がこう決めたから」と母の言い分をシャットアウトすると「どうしたの?今までと違う…」と戸惑っていました。「親の言うことは聞くものよ」「私は親に自分の考えを通すことは無かった」と返されましたが、もう以前のような関係になるのは苦しいので、距離を置きました。
母の期待が依存、そして重荷に
ーーお母さんの娘に期待する気持ちが膨らみすぎたのかもしれませんね。
冨吉さん:期待が依存になって、私には重荷となりました。自分の子どもにも同じ思いはさせたくないので、きっぱりと母との間に線を引けたのは良かったと思います。
ーー重荷から解放され、ご自身の思いを行動に起こされたことのひとつが、ギフテッド応援隊の活動ですね?
冨吉さん:今は「1度しかない人生、他の誰でもない自分の考えで行動していこう」との思いで、ギフテッド応援隊の活動にも全力で取り組んでいます。最近は地元関西の3拠点で、子どもたちのための定期的な居場所事業をスタートさせるなど、活動も充実してきました。お子さんがギフテッドかどうかわからない、IQは測っていない…といった方でも、抱える悩みが似ているかも?と感じるなら、入会を歓迎しています。多くの親子が笑顔になれるよう、今後も活動の輪を広げていきたいですね。
子育てで気づく「育てられ方」
デリケートな話題の途中にも冨吉さんの朗らかな笑い声が響く、楽しく濃厚な取材となりました。子育ちは親育ち…とも言われますが、自身の「育てられ方」に気づくのもこの時期。冨吉さんと同じ経験をした人も少なくはないのでは?
冨吉さんが仰った「ひとりひとりが生きづらさを感じることなく、自由に生きられるといいですよね。」という言葉が深く胸に響きました。
【取材協力】
・ギフテッド応援隊
・樋口雅一先生