お話を伺ったのは…山岳アスリート丹羽薫さん
岡山県出身の48歳。「山岳アスリート」を名乗る、世界を相手に戦うトレイルランナー。学生時代は柔道やヨット、スキーなどに親しみ、陸上競技の経験は無し。
結婚後に愛犬のお散歩が高じてトレイルランを始める。好きなアーティストはアメリカのロックバンドEels。(昔は氷室京介だったとか!)
レースの合間は京都暮らし
京都のご自宅にお伺いしたのは、次のレースに備えてトレーニング中の時期。控えていたのは、フランスで開催されるUltra Tour des 4 Masshif(Ut4M)。レース中に4つの山を渡っていくため、この名が付いたのだとか。174kmという距離だけでなく、累積標高は11,500m!という数字に驚いていると、笑顔でサラリと…
丹羽さん:きっとめちゃくちゃ景色が美しくて過酷なんだと思います(笑)。
ファンとのイベントのため自ら買い出しも!
レースの合間には、トレイルランニング(以下、トレラン)愛好家のためのトークショーや講習会、合宿に参加してファンとふれあい、トレラン人口の増加に努めています。
丹羽さん:ランイベントで参加者に提供する、ドリンクなどの買い出しにも行きますよ。先日は38人分用を準備しました。
世界を相手に戦うアスリートでありながら「トレランの楽しさを広めたい」一心で、帰国中も休みなく活動されています。
心の病と闘いながら…
「獣医になるのが夢でした」
進学校に通う高校時代、獣医を志したものの成績が振るわず、断念。しかし、動物とふれあう職業の夢を捨てきれず、進路指導では「獣医が無理なら水族館でシャチの調教をしたい。」と訴えます。ところが、先生からは強く大学進学を勧められました。
丹羽さん:実家がバブル崩壊の影響で経済的に厳しい状態になり…親には「受験は国公立1本のみ、落ちたら働くように」と言われたんです。もちろん浪人もダメで、悩んだ末に「動物を教えるのも人間の子どもを教えるのも同じかな?」と進路を考え直して、高知大学教育学部へ入学しました。
メンタルの不調・休学…そして、オーストラリアへ
大学ではヨットに熱中し、2人乗りのディンギーと呼ばれるヨットのスナイプ級で国体に出場するほどの腕前。学業の方でも生物系の研究室に所属して単位取得も順調、あとは卒論のみ…となった時、あるトラブルに巻き込まれてしまい、心に病を負ってしまいます。
丹羽さん:処方された薬を一度にたくさん飲んでしまったり、色々不安定なことを繰り返す自分に悩んでいて、どうしてだろうと考えた時に「好きなことをしてないからかな?」と気づきました。その時から「やっぱり動物と触れ合いたいな」と強く思うようになったんです。
恩師に「卒論を英語で書くには今の力では物足りない。外国へ行った方がいい。」と背中を押され、丹羽さんは大学を休学し(のちに中退)オーストラリアに渡ります。語学学校を経て馬の調教や馬産業全般に従事する人材を育成する専門学校に入り、1年半後には競馬学校で日本人生徒に通訳をしたリ、厩舎監督をする仕事を始め、6年が過ぎました。
30歳を前に帰国
順調だったオーストラリア生活ですが、対人関係のストレスから過呼吸を頻発し、精神科に通院し始めた27歳の頃、医師から「環境を変えた方がいい」と言われ、帰国を考え始めます。
丹羽さん:実は、岡山にいた時からお付き合いをしていた彼がいて、ある日「もう帰ってくるつもりは無いだろ?」と唐突に言われたんです。「そんなことないよ」とは言ったものの、「待つ」ことを強いられている相手の気持ちを理解できていなくて、色々身勝手なことをしていたような…。結局その後はお別れをしました。
オーストラリアに来て「全ての夢を叶えた!」と信じていたのに、依然として精神の状態はすぐれないままでした。でも、帰国の1番の理由はメンタルのことではなくて、日本での再就職を考えてのことだったんです。再就職のためには「30歳前に帰国したい」と以前から思っていたので、このタイミングで医師の「環境を変えた方がいい」という言葉を受け止めて、帰国することにしました。
「こんなに誠実な人がいたなんて!」
帰国後は英語力を生かして通訳や秘書の仕事をこなし、ジャズバンドでピアノを演奏するなどオフも充実。その反面、病気は悪化傾向にあり、幻覚や幻聴にも悩まされていたそんな時、仕事仲間から「学生時代の友人」として、ひとりの男性を紹介されます。
「この人となら大丈夫」33歳で結婚
丹羽さん:お互いゲーム好きで、初対面?はオンラインゲーム上での挨拶(笑)でしたね。友だち付き合いをする中で「世の中にはこんなに誠実な人がいたんだ!」とびっくりしちゃって(笑)この人となら大丈夫!って、すぐに結婚しました。33歳の時です。
34歳で初トレラン
結婚後の34歳の時に友だちからトレランに誘われて、趣味のバックカントリースキー(ゲレンデではない場所を自分の足で登って滑るスキー)のトレーニングにいいかも?と、ご主人と共に初体験。
丹羽さん:初めて六甲山を20kmほど走ったんですが、とっても楽しくて!(笑)それからは犬を連れて山に走りに行くようになりました。実は私はロードの経験が無く、マラソン大会には出たことがないんですよ。今はレースがあるので、スキーを我慢してるんですが、本当はトレランよりスキーが好きだし…だから自分では「山岳アスリート」と名乗っています。
心に効く…命をつないだトレラン
長く不調を抱えていたためか、未来に希望を見いだせず「35歳で死のう」と考えていたという丹羽さん。ところが、走り始めてから、メンタルはどんどん回復。日々服用する薬の量も減り、やがて心の健康を取り戻しました。
丹羽さん:もちろん身体を動かす爽快感もありますし、精神科の先生に「足裏への刺激が心の安定にいい」というお話も聞いたことがあります。でも、私が思うのは、自然の中に身を置いて、土や草木のにおい、鳥の鳴き声、風が肌に触れる感触など、五感を刺激されることが1番効果的なんじゃないかな、ということ。家にいて家事をしたり、オフィスで仕事をしている時には得られない感覚が呼び覚まされる瞬間は、気分転換に最適です。
Ut4M 2位でゴール!
と、ここまで書いたところで、冒頭でご紹介したUt4Mのレース結果が届きました!
丹羽薫さんは、36時間以上(睡眠時間はたった5分!)昼夜を問わず走り続けて見事女子2位に輝きました!実は、2kmほど道を見失ったり熱中症になってしまったりと、ピンチの中のこの成績だというから驚きです。
さまざまな場面で心の不調に悩まされながらも自分を見失わず、懸命に人生を駆け抜けてきた丹羽さんの生きざまには心を動かされます。誘われて始めたトレランが病からの回復に大きな役割を果たしていたことを知り、「辛い時には誰かの手を借りる」ことの大切さも感じました。
心の不調とまではいかなくても「あぁ最近うまくいかないな」と感じる機会は意外と多いもの。そんなときは五感が研ぎ澄まされる自然の中に身を置くといいかもしれません。遠くの木々を眺めているうちに、呼吸が深くなり、心がふんわりと柔らかくなって、丹羽さんのようなとびっきりのスマイルを取り戻せそうです。