親の期待が子どもの後押しになっているか、負担になっているか。
子どもに受験や習い事を頑張らせたい。だけどこれは親のエゴ?
子どもがはっきり言わないとき、なんとなく「いいよー」と返事していそうなときは特にわからなくなるのではないでしょうか。
親が期待をしすぎると、子どもが負担に感じて押しつぶされてしまう。しかし、期待しないのも子どもにとってよい関わりといえるのだろうか。
子どもに対する期待と後押しの線引きについて考えていきます。
子どもと同じ方向を向いているか。
まず大切なのは、子どもが頑張りたい気持ちと、親の応援が同じ方向を向いていること。
具体的なケースを見てみましょう。
Aさんの同僚や兄弟は、子どもが小学校中学年になった頃から中学受験を見据えて塾に通わせるのを当然としている。Aさんも子どもの将来のために受験をさせなければと思い、周りに勧められた塾に通わせることに。子どもは受験に乗り気でなく、塾にも渋々通っている様子。しかしここで諦めては、子どもの将来が台無しになってしまう。やる気スイッチが入ればできる子だから大丈夫。
このようなケースは、子どもの意欲と親の期待が別々の方向を向いているといえます。
一方、こんなケースはどうでしょう。
小さい頃から鉄道が好きなBさんの息子。今の小学校には同じ熱量で趣味の話をできる子がいなくて少し寂しそう。Bさんから子どもに「私立中学だと鉄道クラブがあり、同じ趣味を持つ子と会えるかもしれない」と伝えると興味を示したので、オープンキャンパスに行くことに。「あのクラブに入りたい」と言ったため、塾に通わせることにした。今はまだ高い目標だけど、コツコツやっていけばなんとかなるかな?
このケースでは、親が子どもに選択肢を示し、子どもに決めさせています。そして一歩引いたところから子どもの頑張りを応援している様子。子どもと同じ目線に立ち、同じ方向を向いているといえますよね。
親の期待が子どもの負担となりやすいのは、子どもが向いている方向を親が見失ったり、無視してしまうとき。
子ども主体で考える視点を常に意識しておくのが大切といえます。
子どもが「いやだ」「興味ない」と親に言えているか。
子どもが親に対して「イエス」と言うのは簡単。
自分が「イエス」と言うことで滞りなく進み、親が喜ぶのがわかっているからです。
しかし一方、「ノー」と言うのは難しい家庭も多いです。
子どもにとって、親が悲しむ姿は辛いもので、期待されなくなる、残念がられると思うと、「ノー」と言えなくなってしまうんですね。
なので、子どもに「いやだ」「興味ない」と言われたら、がっかりするのではなく、そのような親子関係を築けていることに一度ホッとしてもよいでしょう。
親が子どもに選択肢を提案するとき、「こっちの選択肢を選んでほしいなあ」と思うのはもっとも。
しかしやはり、親が望む方を子どもが選ばない可能性を十分想定しておく、子どもが選んだ選択を尊重する姿勢も持ち合わせておく必要があります。
「興味ないかあ。じゃあどうしていこうかな。」と思える余裕を持っておけるといいですよね。
親の思うようにいかないときは諦めるのが正解?
子どもに対して、期待しながら育てるのはある種当然ともいえます。なぜなら、子どもが持つ可能性や能力をはなから諦めてしまうのは、適切とはいえないから。
ただ、親の期待に応える道以外に選択肢がなく、子どもが息苦しくなっていくのであれば、親の関わり方を見直す必要があります。
「諦める」の辞書的な意味は「仕方がないと思い、断念する」になります。少しネガティブに聞こえますよね。
ですが、「諦める」の語源は「明らむ・明らかにする」。元々は、「つまびらかにし、真相をはっきりさせる」という意味だったんです。
子どもの才能や努力を「諦める」のではなく、どんな力がどの程度あるのか「明らかにしていく」と捉えるのも大切ではないでしょうか。
子どもが進む道を明るく照らすイメージで関わっていけるといいですよね。