「子どもに冷たくされる」これって過干渉のせい?
頻繁な連絡、子どもの新生活への口出し、困ってしまう前に先回りしてあげる。 これらは一見すれば「愛情」の表現でもあります。
実際に僕の親も、とても頻繁に連絡を求めてくる時期がありました。 ですが、これは「愛情」というよりも「不安」なのだと感じました。
もちろん、子どもへの「不安」もあるのですが、「子どもがいない生活への不安」を子どもとのコミュニケーションで解消しようとしてはいないでしょうか。
子育てが中心だった生活は、思っている以上に長いものです。 その期間中は、朝起きる理由も、時間の使い方も、判断基準も、常に「子ども」が軸にあります。
その役割が突然なくなったとき、親はふと立ち止まることになります。
「わたしはこれから、何を軸に生きていけばいいんだろう?」
これは悩みでもなく、モヤモヤでも、イライラでもありません。 これは、これから生きていくための「問」です。そして、この「問」と向き合い、自分なりの答えを出すべく動き出さなければ、その不安はいつまでも子どもに向いてしまうのです。
子どもの独立は、親の「第二の人生」の始まり
子どもが独立することは、親の役割が終わることではありません。 ただ、役割が変わるだけです。
子育て期を「第一のライフデザイン期」だとするなら、この期間は「家族」を優先し、支え、回していく人生でした。 そしていま、新たに始まるのが「第二のライフデザイン期」です。この時期から、生活の主語が「子ども」から「自分」へと戻ってくるのです。
ここで立ち止まらずに、切り替えられるかどうかが、自分の人生だけじゃなく、子どもとの親子関係をも大きく左右します。
親が自分の人生を活き活きと生きていると、子どもは安心するものです。 心配ではなく、安心をベースとした距離感は、自然と心地よいものになるでしょう。
細々と「ちょうどいい距離感」を探るより、自分の人生を楽しみ始めたほうが、関係はうまくいくと思いませんか?
子どもの立場から見ても、
- 親が忙しく、楽しそうに過ごしている
- 子どもの近況確認以外に、楽しい話題がある
- 困ったときには、これまでと同じように親身に手を差し伸べてくれる
こうした親に対して、子どもは距離を取りません。 無理に近づけば近づくほど、距離は離れていく。親子に限らず、人間関係とはそういうものなのかもしれません。
第二のライフデザインを描くために
独立したとはいえ、子どものことが心配なのはわかります。 ですが、すでに子どもは「自分の人生」を歩き出しています。 同じように、親も「自分の人生」を歩き出さねばなりません。
親が子どもの幸せを願うように、子どもだって、親が幸せそうにしていると安心するのです。 いつもいつも心配そうに「大丈夫?」「何してるの?」と報連相を求められても、重荷に感じるだけです。
子どもへの連絡を我慢するのではなく、子どもへの連絡を忘れてしまうくらい、自分の人生を生きましょう。子どもの方から「最近、どうしてる? 元気?」と連絡が来るくらいでちょうどいいのです。
距離を取ることは、愛情を減らすことではありません。 心配する気持ちは自然なこと。 だからこそ、信じて任せてみましょう。



