40代になり、よくも悪くも一通りの経験をしてきた。
小さな不満はあれど「幸せ」なはずなのに、なぜか生き苦しい。
はっきりとしないし、だからこそ誰かに何と相談したらいいかわからない。
そんな不安や苦しさを抱えてはいませんか?
そうしたある程度の年齢を経て、まるで自分を見失ってしまったかのように苦しくなる悩みを「ミッドライフ・クライシス」と言います。
ぼく自身が今年はこのミッドライフ・クライシスに悩まされていることもあり、saitaの連載でもこのことについて色々と書いてきました。
この悩みを抱えて数ヶ月。
少しずつ苦しく感じることがなくなってきています。
それは、自分の中に「良い諦め」が芽生えてくる、ということでした。
他人との比較は苦しい
若い頃に思い描いていた40代の自分の姿と、現実の自分にギャップがある。
または、思い描いていた成果を達成したはずなのに、何かが違う。
ミッドライフ・クライシスは、人の成功の度合いとは関係なく訪れる人には訪れるようです。
でも、その苦しさを増大させる原因のひとつは「他人との比較」でした。
SNSを眺めれば、いかにも大成功を収め、人生順風満帆、仕事も子育ても「自分らしく」楽しんでいます、なんて人をよく見かけます。
SNSだけに限りません。友人や知人と自分を比較して「羨ましい」とか「悔しい」と感じることもあるかもしれません。
ぼく自身、友人や知人と自分を比較して「あの人たちは、あんなに素晴らしい成果を残しているのに、それに引き換え自分はいったい何なんだろう」と自分自身を虚しく感じることがあります。
「人は人。自分は自分」なんてよく言いますが、いくら頭でわかっていても無意識に比較してしまうのだからたちが悪い。
だから、友人の成功を妬まずに心から喜べるようになるまで、しばらくSNSから遠ざかることにしました。
見たら比較してしまうのだから、見ない環境を作るほうがずっと健全だと思うのです。
自分が積み重ねてきた、小さなコトを見直す
その間、自分が積み重ねてきた小さなコトを意識的に見直してきました。
- フリーランスで15年、人並みに生活できるようになったな
- 妻や娘とも仲良しで、自分なりに一生懸命向き合ってきたな
- saitaでも、こうして連載を続けさせてもらえてありがたいな
などなど。
誰かと比べて自分を卑下したり、「あの人は特別だから」と壁を作ったりするのではなくて。
自分が普通に生きている中で、それでも一生懸命に築き上げてきたコトを「誇り」に思うようにしました。これは、20代や30代の自分ではもしかしたらできなかったことかもしれないなと思います。
その頃は「もっと自分には輝ける未来があるはずだ!」なんて鼻息荒く息巻いていました。
自分の積み上げてきたコトを誇りに思えるチャンス。
ミッドライフ・クライシスは、苦しい反面そんなきっかけをぼくにくれました。
「自分」という尺度を持つ
以前、「自分が築き上げてきたこと。それが『自分らしさ』だ」という記事を書きました。
ことさら自分探しなんかしなくても、自分らしい〇〇なんて一生懸命つくらなくても、現実としてそこには自分らしさがある。
だったら、その「自分」というのをこれからの人生の尺度として、上手に見ていこうと思うようになりました。
つまり、比較は他人とするのではなくて、「過去の自分」としていけばいい。
1年前、1ヶ月前、1日前の自分がいまの自分を見て「あいつ、がんばってるじゃん」と思えるなら。
それはこれからの自分の未来を、とても素晴らしいものにしてくれる道をしっかり歩めている証拠なのだと思うのです。
「良い諦め」が40代を生き抜くキーポイントだった
他人と比べないというのは、良い意味での諦め、だと考えています。
自分よりすごい誰かを見たときに、憧れて、触発されて、それを自分の推進力に変えていくには、いまの自分をまっすぐに受け入れることが必要になる。
空を飛びたい人が、鳥を見て妬んでも意味がない。見様見真似で姿かたちだけ真似ても飛べるようになんてなりません。
「俺は飛べない。じゃあ、どうする?」と、飛べないことを受け入れた上で飛べる方法を考えなくてはいけない。
さすがに「鳥」と比べたら「飛べない」を受け入れるのは簡単ですが。
「すごい人」を見たときに「俺は、あの人じゃない。じゃあ、どうする?」と自分を受け入れることが大切だと思うのです。
投げやりになって「諦める」のではなく、自分を素直に受け入れるという「良い諦め」こそが、40代を生き抜くためのキーポイントのように感じています。