「いい子」に見える子ほど、見えにくいしんどさ
小学5年生の息子。先生からも親からも「落ち着いていて安心な子」と言われており、宿題は言われなくてもやる。友人関係でも大きなトラブルはなく手がかからなくなってきた。しかし最近、習い事での人間関係で気を遣っているような素振りがあったり、本当は参加したくないオンラインゲームに付き合ったりしているよう。「平気? たまには休んだら?」と聞くと、息子は少し困った顔で「別に。大丈夫。」と答えた。この子、私にも気を遣ってるのかな?
小学校高学年になると、親から見て「手がかからない」「聞き分けがいい」「空気を読める」子が増えてきます。
トラブルも少なく、先生からの評価もよく、親としては、つい安心してしまう存在。
しかし一方で、臨床の現場では、大人になってから疲れやすさや生きづらさを抱えて相談に来られる方の中に、「子どもの頃、親に心配をかけないようにしていました」という語りがよく見られます。
子ども時代を子どもらしく過ごせるような、親子の関わり方を考えてみます。
「いい子でいた方が楽な子」の背景に隠れている疲労感
家でも学校でもわがままをあまり言わず、周囲との関係をうまくやり過ごしている子。
大人から見ても、小学生なのに気を遣いすぎているのでは? と感じてしまう子がしばしばいます。
そのような子は決して演技をしているわけではなく、「今は自分の気持ちより、場を優先した方がいい」と自然に判断できる力を持っていることが多いんです。
その力を使い続ける中で、自分の感情や欲求を後回しにするクセが身についていくんですね。
一見世渡り上手に見えますが、「これは言わなくていい」「これは我慢できる」と小さな選別を繰り返すうちに、「自分は何が好きで、何が嫌なのか」が分かりにくくなっていくことも。
そして大人になってから、理由の分からない疲労感や空虚感として表に出ることも多いんです。
「いい子に見える子」が子どもらしさを取り戻すために、親が気にかけたい3つのこと
行動より先に、感情を言葉にする
たとえば「今日も宿題終わらせたんだね、えらいね」と言いたくなる場面。ここで一歩踏み込んで、
「今日は疲れてたけど、やらなきゃって思ったのかな」
「本当は遊びたかったかもしれないね」
と、行動の裏にありそうな感情を伝えてみます。
「え、違うよ」と言われても問題ありません。
ここでは、正解を当てることではなく、子どもが「気持ちが話題に出てもいいんだ」と感じることが大切。
否定も評価もされずに感情が扱われる経験は、将来、自分の内側に注意を向ける力につながります。
「困っていないように見えるとき」こそ、関係を続ける
高学年になると、「別に困ってない」「大丈夫」という言葉が増えます。
ここで親が距離をとりすぎると、「問題がないときは、気持ちを扱ってもらえない」と思ってしまうケースも。
大きな話題がなくても、
「今日、学校で一番落ち着いた時間っていつ?」
「今週、ちょっとだけ嫌だったこととかある?」
など、ライトな問いを投げかけることで、感情のやりとり自体を細く長く続けることができます。
「どっちでもいい」を深掘りしすぎない
「どっちでもいい」「なんでもいい」が増えてくる時期でもあります。
ここで無理に本音を引き出そうとすると、かえって“正解を言わなければいけない場”になってしまいます。
「そっか、今は決める気分じゃないんだね」
「また決めたくなったら教えて」
と場を収めることで、“言わなくても関係は壊れない”という安心感が残ります。
そしてこの安心感が、あとから本音を出す力になってきます。
将来のために、小さな余白を作っておく
親に心配をかけないように育つこと自体は、決して悪いわけではありません。
それは、その子が環境に適応し、人を思いやる力を身につけてきた証でもあるからです。
しかし、その力が「自分の感情を置き去りにすること」とセットになってしまうと、大人になってから、何を選びたいのか分からない、休み方が分からない、という形で現れることがあります。
小学校高学年は、思春期手前の“静かな分岐点”。
今からできるのは、正解を教えることではなく、「感じていい」「分からなくてもいい」という余白を、親子の間に残しておくこと。
周囲の気持ちも、自分の気持ちも大切に扱えるよう、サポートしていけるといいですよね。



