ポテサラ論争に見る「手作り」の価値|幸せを感じる思考とは #家事シェア研究家の視点

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2020.07.26

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「手間暇=楽しみ」として、手作りを自分が楽しんでいる

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これだけみんな忙しくしている中で、手作りを強要することはナンセンスだと思いませんか。なぜなら、どんどん世の中のサービスや商品は時短に寄り添えるように発展していて、便利な世の中になっていっているからです。

こうした中、手間暇をじっくりかけられることや、手作りするというのは愛情表現ではなくて、「楽しみ」つまり趣味やエンターテイメントのようになっています。

味噌を手作りしたいのは、愛情のためじゃなくて「味噌作りを楽しみたいから」。
手作りでお菓子を作るのもやっぱり「楽しいから」。

ぼく自身も毎朝娘のためのお弁当を手作りしています。ほとんど冷凍食品などは使いません。いわゆる「手作り」がメイン。でもそれは、娘のためじゃなくて、その方が自分が楽しいからです。(娘はたまに入る冷凍食品を楽しみにしていたりします(笑))

手間暇かけることを楽しめている人は、それを「愛情表現だ」というシガラミとしては考えていないようです。

手間暇は「素敵な愛情」に彩りを添える「スパイス」

そうは言っても、「手間暇をかけることで愛情を込めている」という人も「手間暇をかけられたことで、より愛情が伝わってきた」という人もいるでしょう。その気持はどちらも素敵なことだし、誰かに否定されるようなことでもありません。
一概に、手間暇=愛情という気持ちを全部否定してしまうのは、さすがに乱暴でしょう。

だから、手間暇をかけることは“本来ある愛情”をより際立たせる“スパイス”のようなものだと思っています。
それがあることで、普段の愛情に変化が生まれたり、新しい刺激になったりする。

あってもなくてもいいのだけど、あったら少し気持ちが伝わりやすくなったり、会話がはずんだりするかもしれない。

手間暇をかける、手作りをするというのはそういう効果があると思うのです。

だから、家事を軽やかにこなしている人たちは、上手に手作りを取り入れているようです。
記念日やちょっとしたお祝いの日。相手の好きそうなレシピを見つけた日。そういう時に、気持ちを込めた手作りは自分も相手もお互いを幸せな気持ちにしてくれるでしょう。

手作りは、素敵なことです。でもそれを愛情表現とイコールとして捉えてしまうのは、作り手、受け手どちらにしてもツライことばかりでしょう。
そうではない、楽しみやスパイスとして、手作りを楽しんでいける世の中になればいいと思うのです。

三木 智有
NPO法人tadaima!代表 日本唯一の家事シェア研究家 子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタント。初の著書『家事でモメない部屋づくり(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)』は好評発売中!

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著者

三木智有

三木智有

NPO法人tadaima!代表 日本唯一の家事シェア研究家/子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタント。著書に『家族全員自分で動く チーム家事』がある。

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