「家事育児を休みなくやってくれてるママのほうが、仕事するよりずっと大変」
先日Twitterでそんな投稿が話題になっているのを見かけました。SNSではそうした発言をするパパが「よくわかってる!」「本当にその通り!」と絶賛される風潮があります。
そうした投稿を見ると、これまで家事育児がどれだけ蔑ろな扱いを受けてきていたか。悲しいけれど、そうしたパパの発言が絶賛されるほどに伝わってくるような気がします。
ただ、ぼくはいつも「なんで家事育児と仕事をわざわざ比べなくちゃいけないんだろう?」と思ってしまうんです。
家事育児と仕事を比べてしまう理由
ぼくたちの親世代(高度成長期を過ごした世代)では、「男は仕事・女は家庭」という価値観が一般的で、事実働く男性が妻子を養う専業家庭も多かった。
そうした価値観の中で生まれ育った、ぼくたち子育て世代はいまだに「家事育児」と「仕事」を別々のものとして分けてとらえがちです。
同じ24時間というコップの中に、やるべきことを注いでいくのですから「全部こなすのは無理ゲー」という前提だってある。そうなると、色んな理由をつけて(得意・不得意、好き・嫌い、時間の融通などなど)家族の中で優先順位を振り分けていくわけです。
同じコップの中に注ぐもの。
そうした意味で、「家事育児」か「仕事」かはとても比べやすい。
両方が無理なら、どちらかを優先して取らなければならないからです。
家事育児と仕事を比べられるのは「選択肢」があるから
「家事育児をしてくれる妻を尊敬してる!」このパートナーへの「尊敬の気持ち」は本当に尊いものだなと思います。どんな理由だっていい、お互いを尊敬しあっているからこそ家族は心地よい関係でいられると思うからです。
でも「家事育児をしてくれる妻」と言えるのは家事育児にどれだけコミットするかの選択権を自分が握っている証拠でもあるんです。
「家事育児をするのが当たり前」の人から見たら、それは「不公平感」に繋がってしまう考え方ともいえるのではないでしょうか。
家事育児を主で担う多くの人にとって「家事育児をするか、しないか」「家事育児ができるか、できないか」という選択肢はどこにもないのです。
「家事育児」を仕事のアポと同じように生活に組み込んでるか?
保育園のお迎えが18時にある。
このときに「仕事の都合がつくときはできるだけ行く」なのか「何が何でもお迎えに行けるように仕事を調整するしかない」のか。これが「選択肢の有無」の違いです。
「家にいるときは、できる家事育児をちゃんとやってるよ」なのか「家事育児をするためにあらゆる予定を調整してやりくりするしかない」のか。どちらの立場なのかで時間の使い方における価値観がまったく違ってきます。
大変さとは、「家事」「育児」「仕事」のどれだから大変ということではありません。
大変さとは、「選択肢のなさ」が生み出すものなのです。
家事が好きで、仕事は嫌いな人もいる。
仕事が大好きだけど、育児は苦手って人もいる。
育児は楽しいけど、家事はやりたくない人もいます。
何が好きで、得意で、楽か。それが個人個人でみんな違うのは当然です。
仕事が好きな人だって、「育児してるほうがいいな」って思うこともあるでしょう。その時の気持ちやストレスや状況によっても好き嫌い、楽か大変か、変わってきます。
大変なのは「選択肢のなさ」であり、感謝すべきはそれを受け入れてくれていることなのです。
家事も育児も仕事も。家庭において必要なことを助け合ってることに感謝を
夫婦で感謝を伝え合う際に「仕事しかやってないから」とか「家事育児しかできてないから」と自分を卑下して伝える必要なんてないと思うのです。
どっちが大変で、どっちが楽で、なんて比べる必要だってありません。
家事も育児も仕事も。家庭において必要で大切なことをお互いが支え合っている。そのことに感謝を伝えていたいと思いました。
ぜひ、パートナーにもシェアをして一緒に読んで頂けたらうれしいです。