妻の「家事好きじゃない宣言」に僕は!
「家事が好きじゃない」
そう言われて、次に僕が伝える言葉は、僕たちの結婚生活を大きく決定づけるものになるだろうという予感がしました。
例えば。
「え? だから?」
「で? 俺にどうしろと?」
「それは、俺にやれってこと?」
「大丈夫、俺も一緒にがんばるよ」
「得意じゃなくても気にしないから平気だよ」
「まかせといて。俺が全部やるから気にしないでいいよ」
ここでどう答えるかで、結婚というものへの価値観が如実に現れてしまいます。
さりげない宣言でしたが、そこには物凄く大きな意味が含まれているかもしれない。
ですが、そこでひとつの疑問が頭をよぎりました。
「べつに、家事をしてもらうために結婚するわけじゃないけど?」
この疑問が、そのまま僕の答えとなりました。
否定も肯定もしないで、なぜ心配しているのかを問い返したのです。
「そうなったら嫌だなって思ったから」
妻は笑いながら答えました。
きっと安心したのだと思います。
妻に家事をしてもらうことが、当たり前過ぎて疑問にも思わない
僕が結婚したのは12年ほど前。
たったそれだけですが、当時はまだ「妻に家事をしてもらうのは当たり前」って価値観の社会でした。
それって「空気を吸えるのが当たり前」のように浸透していたので、別に疑問にも思わない人が大多数だったのです。
もう当たり前過ぎて、誰もいちいちそんなことを結婚前に聞いたり確認したりしない。
そんな時代でした。
僕だって家事は嫌いじゃなかったし、正直妻よりもこだわりが強いことは自覚していました。
だけど「結婚したら、基本的には妻がやるようになるんだろうな」って、きっと普通に思っていた。
でも、僕は一切家事しないってスタンスじゃなくて「よく手伝う方」というスタンスで充分だと思ってた。
正直に言えば、そう思っているかどうかの自覚すらなかったのですが。
でも妻から「家事は好きじゃない」と宣言されて猛烈に考えました。
なぜ、そんな宣言をしてきたのか。
その宣言をしなくちゃいけない何かがあるんじゃないか。
この宣言に対して、僕はどのようなスタンスを提示したらいいのか。
大抵。人が「なぜ、そんなことを聞くんだろう?」と言うようなことをわざわざ言ってくるときって、そこには重要な意図があるのです。
その意図まではわからなくても、それを無視したり蔑ろにするのは、パートナーとして誠実じゃないと思いました。
夫婦はもっとも身近な「他人」だよね
このときの会話は、僕の中にすごく印象的に残っています。
間違いなく、このやり取りが僕たちのその後の家族としてのスタンスを作っていくキッカケになったから。
このときにお互いが確認したのは。
「僕も妻も、お互いの生活の面倒をみる義務はない」
ということ。
ちょっとドライに聞こえると思いますが、「自立した関係を築いていこうね」が自分たちの基本スタンスになったのです。
誤解のないように言っておくと、助け合いはめちゃくちゃします。
僕は妻のご飯を毎日作るし、妻だって僕の衣類を洗濯してくれます。
他のことだって、「しょうがねぇなぁ」なんて、ときにブツブツ文句を言いながらサポートしあっている。
だけど、妻の帰りが遅いとき、僕は妻の分のご飯を作らないこともあります。逆の場合も同じです。
自分のお気に入りの洋服は、自分で選り分けて洗濯したりもします。
それでお互いがイライラしたり怒ったりすることはありません。
なぜなら、助け合いはしても「依存」はしないと決めているから。基本的に自分のことは自分で面倒をみるのが前提にあるのです。
こんな関係を、妻は「夫婦は一番身近な『他人』だから」と言っています。
僕もこの境界線はとても大事だと思っていて。
「他人同士」だから、気遣いもするし、感謝もするし、助けもする。
これが「自分と同一の存在」になってしまうと、そういった人としての尊重がどんどんおざなりになってしまう気がしているのです。
妻が結婚前にした「わたし、家事好きじゃないから」の宣言。
この宣言があったおかげで、僕たちはいい関係を築いていけたのだと思っています。
改めて、妻に感謝です!!