ありがたいのだが、コメントし辛い「中途半端たち」
「オムツ替えておいたよー」
わたしが何も言わなくても、息子のトイレに気がついたらオムツを替えてくれる夫。
SNSではいまも「言わなきゃ気づかない」「言っても嫌がる」そんなパパへの不平不満が溢れてるけど、わが家は大丈夫。
だ・け・ど。
ちらっと見えたオムツストックの収納ボックスには、オムツが0枚。
全部使い切ったなら、新しいオムツをセットしておいて欲しいんだけどなぁ。さすがに求めすぎ!?
「お風呂上がったよ! あ、ボディソープ詰め替えておいたからね」
洗面所から聞こえてたドライヤーの音がやんで、妻が出てきた。それじゃ、ゆっくりお風呂に浸かって疲れを癒してこようかな。
服を脱いで浴室に入る。
「ん?」
洗面器の中に、ギュウギュウに絞られて空っぽになったボディーソープの容器が。
思わず、ひとり苦笑いがもれる。
詰め替えてくれたのはいいんだけど、ゴミはちゃんと捨てて欲しいんだよな。
洗ってくれた食器が水切りかごに入りっぱなし。
掃除機の中のゴミがパンパンのまんま。
買い物した後の荷物がテーブルの上に出っぱなし。
家の中には、こうした「中途半端」たちがたくさんあります。
そして、それを見つけるといつも思うのです。「中途半端にしないで、最後までやって欲しいな」って。
大人だけじゃない。
子どもだって、出しっぱなし、やりっぱなし、中途半端なまんまがたくさんあります。
なぜ中途半端にしちゃうのか?
では、なぜ中途半端なままにしてしまうのでしょうか。
これには大きな理由がふたつあります。
ひとつは「単純に忘れちゃってた」
ふたつめは「中途半端にしてるつもりは、とくにない」
です。では、それぞれ説明していきます。
● 単純に忘れちゃってた
これは、どうしても、誰でもありますよね。
上記の例で言うなら例えばボディーソープの詰替後の容器。お風呂から上がるときに捨てようと思っていたけど、うっかり忘れちゃっていた。
● 中途半端にしているつもりは、とくにない
これは、家族間での認識の違いが問題だったりします。
べつに悪気があるわけじゃないし、まさか自分が中途半端だなんて思われるとは思ってもみなかったケース。
上記の例のオムツストックの補充は、これにあたるかもしれません。
「オムツ替え」というタスクはちゃんとやった。
オムツストックの補充は、それとはまた違ったタスクで、たとえば次にオムツ替えするときに一緒に補充したっていいよね、と思ってた。など。
どこまでやるか、の認識は人それぞれ違ったりもします。
一つひとつルールを決めるより、大切なこと
こうした中途半端に対してできるアプローチと言えば「その都度、指摘する」が一般的。
言い方は優しくとか、角が立たないようにとか、いやいやストレートに言ったほうがいいとか、様々ですが。
細かなルールを細々決めて守るのって、僕はどうも息苦しく感じてしまいます。
それに、そんなルールはいちいち守っていられません。
じゃあ、どうするか。
「家事は、次に使う人が使いやすいようにすること」
この一言を家族内のルールにしてしまうのです。
大工の親方に仕込まれた「次のことを考えて動く癖」
僕は20代の頃、内装工事の仕事をしていました。
そこで大工の親方に口を酸っぱく言われ続けたことがあります。それが「次に使う奴のことを考えて動け」でした。
道具を置きっぱなしにする、出しっぱなしにする、適当にしまう。
そうすることで、次に使う人が困ってしまう。
「だから、常に『準備』をするんだよ」
この教えは、仕事だけじゃなく、家庭の中でも使える教えだなと思っています。
もうちょっとだけ「その後」を想像してみる
ちょっと面倒かもしれません。
でも、ほんのちょっと「その後」を想像するようになるだけで、家事ってすごく楽になります。
家事って、家族への優しさで半分くらいできています(頭痛薬みたい)。
特別なスキルがなくたって、ちょっとした気遣いができるだけでお互いを助けることになる。
その気遣いや優しさがすれ違ってしまわないためのコツが「次に使う人が使いやすいようにする」です。
夫婦だけじゃなく。
お子さんにもぜひ、伝えてあげてほしいなと思います。