久遠チョコレート代表 夏目浩次さん
学生時代にバリアフリー建築を学んだ際に、障がい者の福祉事業所で得られる賃金の少なさ(月数千円程度)を知り、一念発起。社会の制度に違和感を覚え、2003年に愛知県豊橋市で障がい者雇用を積極的に進め、それまでの低い工賃からの脱却を目的とするパン工房(花園パン工房ラ・バルカ)を開業。スタッフには精一杯の給料を支払いながらも、カード会社に借金の日々…そんな中、トップショコラティエの野口和男氏と出会い、チョコレート専門店へ転身。
温めれば何度でもやり直せる
2003年頃、障がい者雇用としてもてはやされていたのがパン屋事業。ところが、売れ残りは廃棄処分となり、コツの必要な工程や、やけどなどの危険もある上に、初期費用も高額。
ところが、チョコレートは野口シェフの言葉を借りれば「良い材料を使って正しく作れば、誰でもおいしいチョコレートを作ることができる。」ため、「工程を細分化してひとりの分担を少なく軽く」すれば、多くの障がい者と共に働ける環境を作れる、という大きな利点が。
そして何より、チョコレートの優れている点は「失敗しても温めればやり直せる」ところ。このキーワードは、久遠チョコレートの20年を追った映画「チョコレートな人々」でも効果的に使われていた。ナレーションを担当されたのは女優の宮本信子さん。
ひとりひとりに合った作業を
久遠チョコレートを支える「パウダーラボ」。ここで働く人たちは「バディ」さんと呼ばれ、それぞれが自分のスキルにマッチした作業で、久遠チョコレートを支えている。中には重度の障害があり、言葉でコミュニケーションをとるのが困難なバディさんもいるが、コツコツと丁寧に仕事に励んでいる。他施設で「できない」とされてきた作業が「実はできる」ことも多い、とはスタッフの声。健常者側の偏見が、障がい者の可能性を奪うようなことがあってはならない。
ここで担う工程は、茶葉を石臼で挽いたり、ドライフルーツやナッツを刻んだり、箱を組み立てるなど、比較的単純な作業ではあるが、粉末にしたお茶や刻まれたナッツやフルーツ、組み立てられた箱を購入すれば、その分の金額が上積みされるのは当然のこと。
バディさんの活躍で、経費が抑えられるようになり、ビジネスモデルとしても評価が高まっている。パウダーラボの紹介文には自信に満ちた「月給5万円以上をコミットするQUON chocolate パウダーラボ」という1文がある。福祉作業所などでの1ヵ月の賃金は平均数千円。その壁をぶち破るだけでなく、久遠チョコレートにとってなくてはならない大切な業務を担うバディさんの自立への道筋を確かなものにしている。
多くの人が「温められて」…。
久遠チョコレートで働く人は障害を持つ人だけでなく、子育て中のママさんや悩みを抱える若い人、親の介護でなかなか職に就けない人など、働く上で少しのウィークポイントを持った人たちも多くいる。働き方もフレキシブルで、それぞれの持ち場でお互いに支え合うのが基本。
そう…チョコレートだけでなく、人も「失敗しても温めればやり直せる」。久遠チョコレートでは、転職を繰り返していた人や、なかなか自分に自信が持てなかった人たちも、できないことを頑張るのではなく「自分にできること」を強みにして、そして心を温められて、充実した今を生きている。
優しくてシンプルな社会へ
「誰もが安心して働ける、優しくてシンプルな社会に」夏目さんの目指すものは、極めて明快。しかし、そこに辿り着けない現実。障がい者やさまざまなウィークポイントを持った人々の就労が進まなかったり、やっと仕事が見つかっても、自立できるほどの賃金がもらえないのが「今の社会」であることを理解している人がどれほどいるだろうか。まずはこの不条理さにひとりでも多くの人が気づきを得て「これはおかしいんじゃないか」と思えることが夏目さんの理想の社会に近づくためのスタートライン。
久遠チョコレートのフレーバーは実に多種多彩で、まるでここで働く人たちのよう。さまざまなおいしさのバリエーションがずらりと並ぶ。そして、そのひとつひとつが粒ぞろい。社会も仕事もチョコレートも「色々いっぱい」あったほうが絶対にいい。誰もが生き方を選べる…そんな世の中に近づくために、バディさんは今日もコツコツとナッツを刻み、夏目さんは新しいアイデアを得るために奔走している。