「感謝してほしい」は自然なこと
「もう少しくらい感謝してくれてもいいのに……」そう思うのは、きっと一生懸命家族のためにがんばっている何よりの証拠ですね。
身体がシンドくても、家族みんながのんびり朝寝しているときも、自分の仕事が忙しいときだって、家族のことを最優先にがんばってきた。
それって、誰にも見えないところで自分にムチを打ったり、色んな調整をしたりして初めて成し遂げられることです。
それに対して、「お金を払って欲しい!」とか「ご褒美がなきゃやってらんない!」ってことじゃなく、せめて「もう少しだけ、感謝してくれてもいいんじゃない?」というのは、とても自然なことだと思います。
だけど「感謝して!」と言ったところで、言われてからされる感謝は、なんか微妙なんですよね。
感謝は「される」より「する」方が心地よい
ちょっと事情は違いますが、僕自身が家族からの「感謝」を気にしなくなったときのお話をします。
わが家は僕が家事育児の多くを担っているのですが、幸いにして家族は感謝をあれこれと示してくれます。だけど、怖いもので感謝はされ続けていると「感謝だけされてもな」と、感謝慣れしてしまうんです。これは別に家事の感謝だけに限りません。感謝も報酬のひとつだと考えれば、人は同じ報酬だけではだんだんと物足りなくなっていってしまいます。
作ったごはんに「美味しい」と言ってくれれば嬉しいですが、いつも同じ「美味しい」じゃなくてもっと感想はないの? とか。
「感謝だけじゃなくて、もっと手伝って欲しい」とか。
なので、「感謝される」以外の、自分の心やモチベーションの拠り所を持っておく必要があります。
そこでおすすめなのが「感謝をする」ということ。
じつは、感謝はされるよりも、「する」ほうが自分にとって良い影響があります。
感謝というのは、自分が与えられたことへのお返し、になります。つまり「すでに与えられている」ということに目を向けることになります。
「感謝されない」というのは、自分がすでに与えているのに、それに対してのお返しがない、というもどかしさなのです。
では、何に対して「感謝する」のでしょうか。
もちろん家族に対してでもいいでしょう。たとえば、子どもが元気にいてくれること、パートナーが仲良く一緒にいてくれること、など。でも、感謝して欲しいと思っている今時点で、そんなことはなかなか思えませんよね。
僕は家族以外に、掃除をするときはその場所に感謝の気持ちを込めます。キッチンを掃除するときは、このキッチンがあるおかげで料理ができるんだなと思いながら掃除します。トイレやリビング、ベッドなど。物言わぬ家具や部屋は誰からも感謝されることなく、自分たちの役割を果たしてくれています。だから掃除するときは、(腹立たしい?)家族の顔じゃなく、目の前の家具への感謝を返すつもりでキレイにします。
食材も、知り合いの農家さんからもらった野菜とか、顔が見える食材は自然と感謝の気持ちが湧いて、無駄にしないようにしようって思いますよね。でも、顔が見えなくても同じような心持ちを意識してみることはできるかもしれません。
そして、掃除や片付け、料理などをした後に、「キレイになってよかったな」「家族も美味しく食べてくれたみたいでよかったな」と自己満足できたらしめたもの。
感謝する習慣が、人生を穏やかにする
なんだか少し精神論っぽい話になりましたが、これはとても効果的です。そして、少しずつ感謝する対象を広げていってみてください。
そのうち「感謝してくれない」と腹正しかった家族への感謝すら芽生えてきます。そして、その気持ちは不思議と伝わるものです。
感謝を伝えられると「こちらこそ、ありがとう」と言いやすくなったりもします。感謝なんて、勝ち負けじゃありません。言ったら負けじゃなく、むしろ言ったもん勝ちです。
北風と太陽のお話でいうなら、まさに太陽的なアプローチ。
そんな意識で、自分の中の「感謝されたい」という気持ちとうまく付き合っていってみてはいかがでしょうか。