「もっと家族を大切にすればよかった」
その答えとは、「もっと家族を大切にすればよかった」というもの。 その方は、若い頃「仕事をすることが家族のためになる」と信じ、 寝る間も惜しんで働き続けたと言います。
子育ては妻にまかせ、家族のために休みを取ったり、夫婦でいろんな話をしたりすることもあまりなかったそうです。 ところが、50代になり、子どもが巣立つとともに離婚となってしまった。淡々とお話されていましたが、その言葉からは深い後悔の念を感じました。
「当時は、家族を大切にする、なんて考えたこともなかった。でも、自分なりに大事にしていたつもりだった」
考えたこともなかったのに、大事にしているつもりだった。
これは、今の時代でも同じような状況に陥ってしまっている人は多いのではないかと感じます。
「家族を大切にする」とは「家族がそう感じるかどうか」
自分が思っていることが、相手に伝わっていない。そうしたことは、家族に限らず多くの場で起こります。
たとえば、「たのしくイジってるつもりだった」はずなのに、やられてる方は「いじめ」だと思っていたり。
「この人の成長のため」と思って熱くなったのが「パワハラ」だったり。 「そんなつもりはなかった」のが「セクハラ」だったり。
ひと昔前は、受け取る側の解釈で「粋」かどうかが試されたり、「空気が読めない」なんて言われていました。ですが、いまは伝える側が、いかに受け取りやすく伝えるかが問われる時代です。
これはきっと、SNSの発展などにより、多くの人が何かしらを「発信する立場」になったことによる影響も大きいのではないかと思います。
同じことは、家族を大切にする、ということでも言えます。どれだけ「大切にする」と思っていても、それを家族が感じていなかったり、ニーズに応えられなかったりすれば、その気持ちは思うように伝わらない。
家事育児は、家族を大切にすることでもある
働いて稼ぐことは、家族にとって大切です。 ですが、日々の生活の営みをともに助け合うことだって、同じくらい大切なことです。よく「どれくらい家事育児をやればいいかわからない」と言われます。 その分担割合は、家族によって違うでしょう。夫婦の働き方や、子どもの人数は年齢でも違います。
ただひとつ確かなのは、「納得感」です。
働き方だって、家事育児だって、すべてが完璧にベストな状態なんてのは難しいかもしれない。どんな家庭だって、幸せそうに見えたって、何かしらの不満を抱えているものです。でも、これまで多くの話を聞いてきた中で「相手に大切にされている」と感じている夫婦に共通していたのは「納得感」でした。
「納得感」は対話から生まれる信頼感
誤解されないように言うと、納得感は「諦め」ではありません。 お互いの状況や価値観を話し合うことで生まれた信頼感のこと。
一歩ずつでいいのです。 相手がいま何を考えているか、「思いやる」ことから、深い信頼感は生まれます。
自分が考える「大切にする方法」ももちろん大事ですが、「相手が求めること」を知ることも欠かせません。家族との時間が幸せであれば、多くのことを乗り越えることができるでしょう。 人生の最後に、家族への感謝を心から思えるようになりたいと、思います。