親の経験談、エールになってる?重荷になってる?
六年生の息子が、生徒会の立候補を迷っていた。「やってみたいけど、落ちたら恥ずかしいしな」。励まして背中を押すつもりで、「ママも同じくらいのとき勇気出して立候補したら、自信ついたよ」と伝えた。その場では「そっか」と聞いていたけど、しばらくしてから「やっぱやめておく」とのこと。背中を押したはずなのに、響かなかった?
「私が〇〇だったんだから、あなたも大丈夫」と経験を踏まえた応援の言葉。
親の経験談は伝え方によって、有効なエールにも、重たいプレッシャーにもなります。
自分の能力を気にし始める繊細な時期。
親の経験談、成功例は自身との比較材料にもなってしまうんですね。
どんな伝え方であればエールとなるのか、重荷にならないのかを考えます。
親の経験談を武勇伝にしないための3つの工夫
結果より「迷い」を伝える
- 「最後は成功したよ」→「やる前は、すごく不安だったよ」
- 「練習したらできるようになったよ」→「最初は全然できなくて、ちょっと恥ずかしかったな」
- 「失敗したけど、いい経験になった」→「失敗した日は、めちゃくちゃ落ち込んだなあ」
モデルを示そう、意味のある会話にしよう、と意気込んでしまうと、美談・武勇伝として伝わってしまいます。
不安や迷い、悔しさは誰にでもあるものとして、親自身の経験に少し触れる程度にとどめるのがおすすめ。
「怖かったけどやりきった」ではなく、「怖い気持ちがあった」と伝えるところで止めます。
そしてその先は子どもに委ねるのがポイントです。
結論を子どもに託す
- 「絶対できるから大丈夫」→「できそうな部分と、不安な部分、どっちが大きい?」
- 「それはやったほうがいい経験になるよ!」→「やるとしたら何が楽しみ? やらないとしたら何が安心?」
- 「ママはこんな風にやってきたよ」→「あなたは“やる自分”と“やらない自分”、どっちが好き?」
子どもが迷っていると、親は導いてあげようモードになりやすくなります。
しかし経験談を方向づけに使ってしまうと、子どもは親に相談しにくくなっていくもの。
”きっと親はこう考えるだろう”と価値基準をもってしまうからです。
「(私はこういうタイプだったけど)この子はどんな選択をするのだろう」と、俯瞰した視点で見守れると、子どもは自分で選択する力を身につけられます。
教訓で締めくくらない
- 「失敗は成功のもとなんだよ」→「ママは失敗をすごく引きずるタイプだから切り替えが難しかった」
- 「ちゃんと準備していれば違ったよね」→「やる前って何が必要かわかんないんだよね」
- 「あの経験があったから今があるんだよ」→「あのときは、なんで自分だけって思ってたなあ」
思春期は、”言われるとやりたくなくなる”時期。
教訓は、伝えて教わるものよりも、自分で見つけて実感する方が有益に働きます。
自身の失敗や経験に意味をつける作業はとても大切ですが、子どもにはすべてを伝えきるのではなく、未完成のまま伝えた方がよいときも多いです。
経験は“答え”ではなく“材料”
親の経験談は、使い方次第で勇気にも圧にもなります。
- 結果を強調すると比較になる
- 結論を渡すと正解になる
- 教訓で閉じると指導になる
一方、
- 迷い(経過)を語る
- 結論は委ねる
- 未完成のまま手渡す
こうすると、経験は“大切な材料”として伝わります。
親はつい子どもに地図を渡したくなりますが、 「こんな道もあったよ」と横に置くのがポイント。
子どもはどんな道を行くのかな? と、誰も知らない未来を楽しみにしながら見守れるといいですよね。



