本当はいやなのに「大丈夫」と言ってしまうのはなぜ?
私は、ずいぶん長い間、本当はいやなのに、つい「大丈夫」と笑ってしまうところがあった。
誰かに頼りたいのに、迷惑をかけるような気がして言い出せなかったり、褒められても素直に喜べず、「そんなことないです」と否定する。
咄嗟に出る反応だけど、そんな自分をずっとどこかで受け入れられずにいた。
同じような経験をしている人は、どのくらいいるだろうか。
妻として、母として、職場の一員として、さまざまな役割を担う私たち。周囲の期待に応えようとするうちに、自分の気持ちを後回しにすることが当たり前になっている人は少なくないはず。
さらに、「どうして私は言いたいことが言えないのだろう」「もっと強くならなければ」と、自分を責めてしまうこともある。
こうした反応は、必ずしも生まれ持った性格によるものではない。これまでの経験の中で、知らず知らずのうちに身につけてきた「心の習慣」が関係していることもある。
例えば、毎朝歯を磨くとき、歯ブラシの持ち方や磨く順番をいちいち考える人はいない。長年繰り返してきた行動は、意識しなくても自然にできる。
実は、心の反応にも似たようなことが起こる。
誰かにお願いされると断れない。相手の機嫌が悪いと自分のせいだと感じる。人に頼ることに罪悪感を覚える。
こうした反応も、過去の経験を通じて身についた習慣なのだとしたら?
そう考えたことはないだろうか。これはいわば、心の自動運転のようなものだ。
自動運転は便利だが、その設定が今の自分に合っていない場合もある。
本当は断りたいのに「大丈夫」と言ってしまうのは、心が昔から慣れ親しんだ反応を繰り返しているからかもしれない。
子どもの頃に作られた「心の取扱説明書」
そうした心の習慣は、どこから生まれるのか。そのひとつに、子どもの頃の経験がある。
例えば、泣いたときに親が困った顔をした経験から、「弱音を見せないほうがいい」と感じるようになる。
良い成績を取ったときに褒められた経験から、「頑張って結果を出さなければ認められない」と思うようになる。
忙しそうな親に遠慮して育ったことで、「人に頼らず、自分で何とかしなければ」と考えるようになることもある。
もちろん、同じ経験をしても、誰もが同じように受け止めるわけではない。ただ、子どもは自分の置かれた環境の中で、安心して過ごすための方法を懸命に学んでいく。
それは、当時の自分にとって必要な工夫だったのだ。
私は、こうした心の中にあるルールを「古い取扱説明書」のようなものだと考えている。
子どもの頃には役に立っていた説明書も、大人になった今の自分には合わなくなっていることがある。
それなのに、私たちはその説明書を使い続けてしまう。
もう誰かの顔色をうかがわなくてもいいのに、相手の反応を気にしてしまう。自分の希望を伝えてもいいのに、我慢することを選んでしまう。
かつて自分を守ってくれた心の習慣が、いつの間にか自分を窮屈にしているのかもしれない。
これからは、自分の本音を大切にしてもいい
では、長年身につけてきた心の習慣を変えるには、どうしたらいいのだろう。
まず大切なのは、自分の反応に気づくことだと思う。
例えば、誰かに頼まれて反射的に「大丈夫」と答えたとき。
「本当は引き受けたくなかったのでは?」
「断ったら嫌われると思った?」
「私は本当はどうしたかった?」
そんなふうに、自分自身に問いかけてみる。
すぐに答えが出なくても大丈夫。
大切なのは、これまで当たり前だと思っていた自分の反応に、少しだけ疑問を持ってみることだから。
そしてもし、「本当はいやだった」という気持ちに気づいたなら、その気持ちを否定しないでほしい。
これまで誰かの期待に応えようと頑張ってきた人ほど、自分の気持ちを優先することに罪悪感を覚えるかもしれない。
けれど、自分の本音を大切にすることは、わがままではない。
長年使い続けてきた心の取扱説明書は、無理に捨てる必要もない。
「今まで私を守ってくれてありがとう」
そう感謝しながら、今の自分に合うものへと、少しずつ書き換えていけばいい。
人生の後半は、誰かの期待に応えることだけに時間を使わなくてもいいはずだ。
次に「大丈夫」と言いそうになったときは、ほんの少し立ち止まって、自分に聞いてみてほしい。
「私は、本当はどうしたい?」
その問いかけが、自分らしく生きるための小さな一歩になるのだから。



