人生において「これはやっておきたいな」と思うことがいくつかあります。
たとえばお遍路(おへんろ)さん。四国4県を自然を感じながら1400kmもめぐる旅。
色んなシガラミから開放されて、自分を見つめながらの旅はそう何度もできない貴重な機会となってくれそう。
もっと身近なところで言えば、絶品蕎麦を食べ歩いてみたいとか。
学生のころによくやっていたダイビングを、もう一度趣味としてやり直したいとか。
妄想するだけでちょっと上がるし「できたらいいな」なんてワクワクします。
そんな「やっておきたい」こと。
ただ頭の中でイメージしていても、実現なんてされません。毎日は忙しいし、子どもだっているし、長期で休んだりしたらその後の仕事が心配だし。
しかも、やったとて「楽しかったネ」って思い出だけで終わっちゃう。
それで儲かるわけでもなければ、むしろお金を使って、仕事も先延ばしして、「ダレ得?」なんて。
でも先日、7歳の娘とこんな話をしたんです。
「お手伝いしたら、お小遣いもらえるんだって。うらやましいなぁ」
お友達の〇〇ちゃんは、手伝いをしたらお小遣いがもらえるらしい。
そんな耳寄り情報をゲットした娘は「わたしも、お小遣い欲しい」と言い出しました。
わが家では娘はトイレ掃除大臣。そしてオモチャお片付け大臣。
これまで可愛くやってくれていましたが、いよいよ労働における対価を求める知恵を身に着けたか、と嬉しいやら寂しいやら。
でも、「対価」って本当にお金だけだろうか。
たとえば娘は「おつかい」は好きで行きたがるし、美味しい食べ物を誰かに分けてあげるのも大好き。他にも、学校でやる「書き取り」も「百人一首」も好き。
「ねえ、どうして『おつかい』や『勉強』や『人にお菓子あげる』のは好きなの?」
「だって、『楽しい』し『色んなこと知れると勉強になる』し『嬉しい』から」
こんなにスムーズに答えてはくれませんでしたが、おおむねそういう答えが返ってきました。
「そうそう。『楽しい』とか『学びになる』とか『嬉しい』も、『儲かった』なんだよ。しかも一生なくならない『儲け』になる」
「でもさ、『楽しい』じゃお買い物できないよ?」
「たしかに。お金じゃないからね。でも、君がトイレ掃除をしてくれてパパが100円あげたとするね。そうすると、パパは100円を払っているから君がトイレ掃除をしてくれても『当たり前』って思う。だから、その分パパからの『嬉しい』の気持ちはもらえなくなる」
「どっちももらえないの?」
「お金がもらえるからやる。もらえないからやらない。だけで考えていると、こうした『嬉しい』『学び』『楽しい』がもらえるチャンスをどんどんなくしていっちゃうんだ。それって超もったいない」
「わたしはね、パパが喜んでくれたら嬉しいんだよ」
「知ってるよ(笑)パパは君がトイレ掃除をしてくれたら、いつもチェックするよね。そしてどうしたらもっと上手にできるか、どこに洗い残しがあるか教えてる。だから毎回君はトイレ掃除が上手になる。いつも「前より上手になったね」ってほめるよね?」
「うん」
「『トイレ掃除』と『トイレ掃除方法の伝授』が、君とパパの間でぴったり交換されてるんだよ。で、この『トイレ掃除方法』は一度完璧にできるようになったら一生使える」
「だからいつもパパうるさいの!?」
「うるさいって(笑)でもそうだね。でもトイレ掃除に100円あげるとしたら、パパはもうトイレ掃除の伝授はしない。そのかわり『100円払ってるんだから、ひとりでちゃんとキレイにしてくれないと困る』って思うな」
「それは困る!」
「何かをがんばったときに手に入れられるのは、お金だけじゃないんだよ。お金は大事だけど、それ以外にも自分が何に『儲かった』かを探してみると面白いよ」
「経験」という財産は一生なくならない
娘と話していたのは「経験は財産なんだよ」ということでした。
そして、それを話しながら自分に返ってくるんです。
「とは言え、お金の方が価値あるじゃん」って。
「経験」じゃ買い物できません。「お金も経験も両方手に入れたらいいじゃん」って。
両方手に入るなら、それはそれでいい。
でも、子育てもひと段落しつつある40代の人生を有意義にするための財産は「経験」だろうとも思うのです。
お金だけじゃなく、「楽しいって最高」と思えることを味わい尽くす。
これからはそんな生き方をしたいと、娘との会話の中で思うことができました。
子どもから学べることは、まだまだ多いなぁ。
みなさんも、ぜひ素敵な40代ライフを楽しみましょう。