あの芸能人も発達障がいなんでしょ?
発達障がいの言葉が広まり、芸能人の中には診断を公表している方もいます。
同じ「発達障がい」という診断名であってもどのような困り事があって診断を受けたのかは人それぞれ。しかし、程度や症状の種類に差があることを知らず「あの芸能人と一緒なんでしょう?」などと言う方もまだまだ多いのが現状です。
このような悪気のない発言に傷つく子は多く、当事者と社会の壁はまだまだ厚いものといえるでしょう。本来もつ特性からくる辛さに加え、周囲の見方や偏見による「二次障がい」といいます。
障がいに対する実質的な配慮のみでなく、周囲の発言や考え方にはどのような気配りが必要なのでしょうか。
発達障がいの診断を受けているAさん、Bさんを仮定し、例をあげながら考えてみます。
偏った知識にあてはめないでほしい
幼少期からピアノが得意なAさん。ある日、親のママ友からこんな風に言われた。「自閉スペクトラム症の子って、すごく集中力が高いんでしょ? だからAさんのピアノもあんなに上達したんだね。うちの子にも分けてほしいくらい!」AさんとAさんの親は、ピアノが得意であることと障がいを繋げて考える必要があるのかな? と疑問に感じた。
SNSや信憑性の乏しいネットの情報から、偏った知識を持っている方は多いのが現状。たしかに「過集中」は発達障がいの特徴のひとつではありますが、誰しもがその特徴をもっているわけではありません。
この場合褒め言葉として情報を用いているのかもしれませんが、一方的に決められるのはやはりストレスなもの。好きなものに取り組んだり、一生懸命努力することは、その子自身の力であり、他人から〇〇のおかげと定められるものではありません。
持っている一部の情報を、目の前にいる相手にあてはめるのは避けた方がよいでしょう。
なんでも発達障がいを理由に片づけないでほしい
仲の良い友達には障がいの名前や自分の苦手なものについて話しているBさん。ある日、前日に動画を見ながら寝落ちしてしまい、宿題をやりそこねてしまったBさん。休み時間に慌てて宿題をやろうとしていたら、友達が「Bさんはしょうがないもんね」と言われ、宿題を見せてくれた。ありがたく思いつつも、もやもやするBさん。
たしかにB君には発達障がいゆえの苦手さもあるでしょう。しかし、動画を見て寝落ちしてしまう、宿題をやり忘れるなんていうのは、誰しもにありがちなことですよね。
仮に発達障がいと診断されていたとしても、何から何まで配慮してほしい、手助けがほしいわけではありません。むしろ、周囲が「しょうがない」と決めて勝手に手を貸したつもりになるのは、相手を傷つけてしまいます。
線引きは難しいかもしれませんが、まず言えるのは、個人の苦手さに何が由来しているのかを決めるのは周囲ではないということ。「困ったときはお互い様」の雰囲気を作り、ヘルプを出し合いやすい関係になっておけるといいですよね。
障がいは社会が作っている側面もある
社会学では、以下のような考え方があります。
メガネがない時代、視力がよくない人は障がいを持っていたといえます。
しかし眼鏡やコンタクトレンズなど科学的技術の発展により、現代において視力が0.1を下回っていたとしても障がい者とは呼ばれません。
自力で歩くのが難しい方は、現代においては配慮が必要である点から障がいをもった方と捉えられます。
しかし、歩く必要のない時代が来たら、彼らは障がい者ではなくなります。
何をもって障がいがあると捉えるか。それは本人が持つ特徴ではなく、社会の見方・あり方ともいえるんですね。
発達障がいの診断を受けている方も、周囲の環境や理解によって不自由の少ない生活を送れるようになるのではないでしょうか。
個人の欠けているものに目を向けるのではなく、周囲に足りていないものに目を向けていけるといいですよね。