不満があるときに言ってしまいがちな「普通」
家から帰ったら宿題を後回しにしてすぐにゲームを始めるわが子。普通宿題を終わらせてからやるものじゃないのかな。学校の話を聞いても「別に」と答えるだけ。普通の家はもう少し会話も多いだろうし、親の言うこと聞くよね?パパもパパで、こっちから言わないと手伝ってくれないし。普通もっと察して動いてくれるものじゃないのかな。
子どもや家族に対して「普通は~するよね?」ともやもやした気持ちや苛立ちを感じたことはありませんか? 受け入れられないものと出会ったときや、納得がいかないとき、人は「普通」と照らし合わせながら自分を正当化させようとします。
「普通は~なのにおかしいよね?」と、正論のように言ってしまいがちなんですね。ですが、子どもは親の感じる「普通」を押し付けられ過ぎるとストレスに感じます。まずは親自身が持っている「普通」を理解し、子どもをどのように受け入れていけばよいかを考えてみます。
「普通」の正体とは?
自分自身の経験=普通
自分が通ってきた道、選んできたものは自然と「普通」に感じやすくなります。
- 宿題をさぼったら怒られるのがわかってるから早めに終わらせよう。
- 親が大変そうだから、指示される前に手伝ったほうがいいよね。
- 周りも大学に行く人がほとんどだし、とりあえず目指せそうなところに進学しようかな。
そんな風に、自分の感覚に従ってやってきたこと、その結果として「悪くなかった」と感じられるものは「普通」であり、「正解」であったと解釈しやすくなります。
ただ一方で、普段と異なるコミュニティの人と関わる中で、自分とはまったく違う感覚や考えをもつ人と出会うときもあります。そのため、外向的な方はいろいろな価値観に触れることで、自分の経験で得た「普通」にとらわれず、「複数ある選択のひとつ」と感じやすいもの。一方、内向的で人と関わるのが得意でない方は、自身の「普通」から抜け出しにくくなるんですね。
周囲からの情報=普通
周囲からの情報を「当たり前の常識」であり「普通」なものと感じやすい親御さんも多いです。
中学受験を例に考えてみましょう。全国平均でみると、中学受験をする子は10人に1人にも満たないとされています。一方、都内23区になると20%を超えるので、5人に1人は中学受験をしているそう。さらにその中でも、ハイキャリアの親が集まる地域では2人に1人が受験をしています。
全国的に見ると中学受験をする子はむしろ少数派であり、「普通」の選択とは言えないでしょう。しかし、中学受験に力を入れる方が多いエリアに属していると、受験の選択が「普通」であり「当たり前のもの」になっていきます。
自分が当たり前と思っていた考えや常識も、地域を離れればまったく通用しないことは多々あります。地域や周囲の「普通」、視野を広げて考えたときの「普通」、両方理解しておけるといいですよね。
親が求めている期待=普通
親の願望や理想を「普通」として子どもに伝える方も多いです。子どもを縛ろうとか、コントロールしようといったような思いはなくても、つい言ってしまうこことがあります。
例えば、
- 宿題をやってない子は普通だらしないと思われるでしょ? 自分が損するからやったほうがいいんじゃない?
- 普通テストの前は3時間くらい勉強するものだと思うよ。そんなにゲームばかりしないでしょ。
- 親が大変そうにしてたら、普通手を止めて「手伝うことある?」とか言うんじゃないかな。
子どもの将来に対する心配や、予想と反する行動をとる子どもへのもやもや、手一杯な状況に対するいらだち。そんな中で自然と「普通~なんだから」と言ってしまいがちなんですね。
まずは自分が感じているいらだちやもやもや、余裕のなさに自分自身で気づき、できれば率直にそのまま伝えられるといいでしょう。親自身の中での「普通」を理解し、なぜ「普通は~するもの」と言いたくなるのかを考えていけるといいですよね。