以前「子どもの幼稚園をどうするか」ということで妻と意見がまっぷたつに対立したことがありました。
その時は、いい環境で子育てをしたいねと移住を前提とした話し合いをしていたのですが。
鳥取にある幼稚園がいいなと思っているぼくと。
京都にある幼稚園をいいなと思っている妻。
そんな対立構造になってしまったのです。
子どもの幼稚園も、移住も、家族みんなの人生を大きく変える重要な決断です。
しかもすでに鳥取に移住する予定で幼稚園も家も決めてしまってからの変更。
食い違った意見を家族みんなが納得する形に落ち着けるのは無理に思えていました。
わが家は結婚して10年になりますが、3年前のこの意見の対立は、その後の夫婦の対話や関係を大きく変えてくれました。
それまでの7年は、大きな意見の対立もなく、お互いが自然と寄り添い会えるような関係。それがこの対立を経て、「意見が割れてしまっても、自分たちなりのベターを一緒に探していけるよね」と信じることができるようになったのです。
今日は、自分たち夫婦の対立から学んだ「対話」をする上で大切にしていることをご紹介します。
夫婦でタッグを組んで問題に立ち向かう
何より大切なのは「夫婦は敵同士じゃない」と確認し合うことでした。
意見が割れると、どうしても相手が「敵」のように見えてしまったりします。
「これまで鳥取移住で話を進めていたのに、急に京都に行くなんて理不尽だ」
「鳥取移住を安心してできない問題が発生したのに、なぜ鳥取にいつまでもこだわっているんだ」
そのすれ違いは、下手をすれば自分の意見を通すために相手を傷つけるようなケンカに発展しかねない。でも、夫婦の対話って本来はそうじゃないはず。
夫婦がタッグを組んで、共通の課題を解決する方法を考えるのが対話です。
それは「夫」か「妻」かじゃない。夫婦で「鳥取」か「京都」かを考える姿勢が必要でした。
ケンカと議論はまったく別
「『夫婦で”対話”しましょう』なんて言われても、まともな話し合いになんかならない」
と相談を受けることがよくあります。
でも、わが家は対話や議論はよくありますがケンカになることや、まして「話し合いにならない」ということにはならない。
それは先にお話した「夫婦でタッグを組んで課題を解決する」という前提に立っているというのもありますが、もうひとつ「ケンカと議論」をまったく別物として理解しているからでもあります。
ケンカ ≠ 意見の対立・議論
ケンカ=感情的な傷つけあい・対話の拒絶
ケンカとは、相手を傷つけたり、対話を拒絶したりすることです。議論のつもりでケンカをはじめてしまうと、問題が解決しないばかりかいたずらに相手との信頼関係を失っていくだけ。
だから「感情的に傷つけるような言葉」を発しないように気をつける。万が一発してしまった、もしくはそのつもりはなくても相手が傷ついていたら気がついた時点ですぐに謝るようにします。
そして「対話の拒絶」も同じく信頼関係を損なう行為であるという自覚を持つこと。
どうしてもいま話しができない、もう少し自分の中で考えをまとめてから話しをしたい。そんなときは「少し考える時間が欲しい」とちゃんと伝えます。
LINEの既読スルーが、ただの「返信忘れ」だったとしてもスルーされている方は、あれこれとネガティブな妄想が広がって苦しくなる。しかも大事な連絡であるほど、ネガティブは勝手に高まってしまいます。
それと同じで、大事な対話を拒絶することは、相手の中のネガティブを膨れ上がらせるだけです。そのあとで、いざ対話をしようと思っても、今度は相手が話を聞いてくれなかったりする。
そのことを意識しておくだけで、対話のスタンスは変わってくると思うのです。
わが家は結局、京都へと移住することになりました。
そしてその決断は、家族の誰にとっても最良の決断となりました。
論破しようと、相手を貶めるのではなく。
きっと移住先は鳥取でも京都でもどっちでもよかったのです。そんなことより、一緒になって、家族にとってのベターを探り会えたこと。それが自分たちの決断を最良にするためのたったひとつの条件だったのです。