「やらないこと」を決め、逃げたほうがうまくいく
私は「自分には向いていない」と思ったらすぐに撤退する。そこに仁義やプライドはない。仁義やプライドは確かに美しいが、私を守ってはくれない。だから失望されようと落胆されようと無視されようと、尻尾を巻いて逃げてきた。
新卒で会社員になってから1年ごとに転職。インターン含めて4社を転々としたのちに「会社員は向いていない」と判断し、会社という枠組みから逃げてフリーランスになった。
「独立するなんてすごい」と言われたが、嫌なことから逃げただけだ。
フリーランスになってからも、
「この案件はしんどい。続けても負担のほうが大きい」
と思えば早々に辞退し、新しい仕事を探す。
社会人として健やかに働き続けるには「何をやるか」より「何をやらないか」が大事だ。
無理しても体か心が不調になり、どうせ続かない。仕事が続かないということは収入を失うということで、深刻なバッドエンドになりかねない。
不安定な社会で健全に生き延びるには「働き続けられる環境を作ること」が最優先で、そのために「やらないこと」を見定めて逃げることも必要なのである。
だから向いてなければやめていいし、嫌なら逃げていい。
……と言っても、踏ん切りがつかない人が大半だろう。
無責任な人ほどたくましい
逃げ出す時、私たちの足かせになるのは「逃げたらこの先やっていけないのでは」という不安だ。
逃げ出して仕事を失ってしまったら、この先やっていけるのか。信用を損なってしまったら、嫌われるのではないか。未来の自分はどうなってしまうのか。もんもんとした不安が膨らみ、踏み出そうとする足をがんじがらめにする。
気持ちはわかるが、ぶっちゃけこうした不安が大きい人は失敗体験が少ないのでは?と思う。
何度か失敗した人なら、うまくいかずに挫折した人なら
「ダメになっても、意外と何とかなる」
と知っているはずだ。
入社して1年足らずで会社を辞めようとした時、人生の先輩とされる年長者から
「新卒で入った会社なら、3年は続けないとすぐに辞める奴だと思われて採用されないぞ」
と言われたが、わずか1か月で転職先が見つかった。
その後も1年ごとの転職を繰り返した私は
「なんとかなるじゃん。人の常識話はアテにならないなあ」
と拍子抜けした。
1年ごとに会社を辞め続けた非常識な私であっても、独立して一般人レベルの生活を送れている。
たとえ嫌われて後ろ指を刺されても、お前なんかどこ行ってもダメだと罵倒されても、意外と生きていけるのである。
そもそも社会には立派な人しかいないのか?
実際は、何かしらがダメな人ばかりではないだろうか。
無責任な自由人だって、なんだかんだ普通に生きている。
善悪はさておき、生活保護を受けてパチンコに興じている人だっている。
むしろ無責任な自由人こそ、どんな状況でもたくましく生きているのだ。
逃げるために必要なのは、能力ではなく覚悟
「やらないこと」を決めて逃げるには、覚悟が必要だ。
私だって、それなりに報酬をいただいていた仕事を断る時は脳内を紙幣がよぎる。来月のカード支払額を見て驚きと同時に焦りを感じるが
「1回仕事を断っただけで二度と依頼されなくなるようなら、所詮私はそれまでだったということ。まただれかから頼ってもらえるよう、精進するのみ」
と覚悟を決める。
結局は、自分が働きやすい環境を作ったほうが仕事に精が出るし、前向きになるし、そこで生き抜く覚悟が生まれるのだ。
無責任に逃げ出せないのなら、足りないのは能力ではなく覚悟である。
なんとかしてやると思えば、能力は勝手についてくる。
「自分には能力がある」と思えないなら、「自分はいつだって逃げられる」と能天気になろう。
それでも不安なら、これまでの人生であなたが踏ん張っている場所から逃げていった人たちを思い返してほしい。
その人たちは大きな強みを持っていただろうか?
意外と普通の人だったり、自由な人だったり、適当な人だったりしないだろうか。
私もかつての同僚からすれば「すごい人」ではなく、遅刻やミスが多い問題児だった。
気持ちひとつで逃げられるのだから、人生の重荷になっているものは「やらないこと」に分類して、さっさと捨ててしまおう。
やらないことが増えるほど人生は自由になり、手放すほど満たされる。
身軽になって、今まで行けなかった場所に飛んでいこう。