ここ最近。「ひとりきりになれる3日間」を過ごしたことはありますか?
子どもが生まれるまで、時間は自分の好きなように使えるものだと思っていました。
仕事で拘束される時間があるとはいえ、夜何時に寝ようが、朝ギリギリまで起きなかろうが、友達と食事に行こうが、誰にも何にも言われない。
親元を離れてから手に入れた自由は、今後誰にも邪魔されない「当たり前の権利」だと思っていました。
ところが、子どもが産まれた瞬間。その自由はまるで幻想のように失われていったのです。
それから今日までいったい何年が過ぎたでしょう。
自由に、なんの拘束もなく、両手両足を伸ばしてくつろげた時間。どのくらいありましたか。
ここ最近。「ひとりきりになれる3日間」を過ごしたことはありますか?
ひとりで過ごしてはじめてわかる時間の価値がある
この記事を書いている今。妻と娘は2泊3日のスクールのスキー合宿の真っ只中。
久しぶりに家事育児をしなくていい贅沢を味わっています。
いつもなら仕事を終えて娘のお迎えと買い物をしに出かける16時を過ぎても、慌てることなく仕事ができる。晩ごはんだって家族分つくる必要もないから、気分転換も兼ねて外で食べる。
子どもが生まれてから驚いたことのひとつに、選べる飲食店の少なさがあります。
まず子連れで気兼ねなく入れるお店が、街に出ないとなかなかない。その上、子どもの「あれ食べたい! これは嫌!」に左右されるため、入れるお店ならどこでも選べるわけでもない。
結局、いつものファミレスが無難でいいかってことになる。
わが家にとって家族連れの外食は、ワクワク美味しいものを食べに行くと言うよりも、つくるのが面倒だから外で済ませちゃおうという消極的理由が多いのです。
ところが、子連れではない夜。ふらりと街を散策していると入ってみたいお店のなんと多いことか。
ぼくはいま、誰にも気兼ねなく、どのお店に入って何を食べてもいいんだ。
小さなことですが、そんなことでこんなにも開放感を味わえるのかと驚きます。
食事を終えたあとだってそうです。
好きなNetflixを好きなだけ見られる。仕事をしたって本を読んだっていい。お風呂にものんびりと入れる。それでも、まだまだ時間はある。
いつも21時の寝かしつけに向けて、食後にゆっくりする時間もほとんどありません。
子どもと一緒にゲームをしたり、宿題を見たりする時は愛おしく大切です。でも自分のために自由に過ごしているわけではない。
1日がこんなにも、ゆったり伸び伸びと流れていく。
ひとりの時間に対するこの感覚。子どもが生まれるまで感じたこともありませんでした。
親にこそ「ひとりで過ごす時間」が必要
40代になり、すこし子育てにもゆとりができました。数年前ほど付きっぱなしじゃなくてよく、なにもかもお世話する必要もなくなった。
自分のこれからについて、考える余白がちょっとできたのではないでしょうか。
だからこそ「ひとりで過ごす時間」が必要だと思います。
家族から離れて、家事育児を忘れて、これまでを振り返り、これからに思いを馳せる。
その時間を持たなければ、いつまで経っても慌ただしく流されるままになってしまうかもしれない。
1日1時間くらいの短い時間でも、ないよりはずっといいでしょう。
丸1日あれば、もっといい。
だけど2泊3日もあれば、その有意義さは段違いになります。
最初の1日は、うきうきした気持ちで色々やりたくなって消化されてしまう。
翌日は高ぶりも収まり、24時間広々とした気持ちで時間にふけることができます。
最終日には、ゆっくりと時間をかけて元の日常へと戻る準備を整えていける。
だから、大人のひとり時間は2泊3日が理想的だと思うのです。
1年に1回。夫婦で「時間」をプレゼントし合う
わが家は年に1回ほど。夫婦でお互いに旅行をプレゼントしあっています。
これは実は旅行じゃなくて「時間」のプレゼントなのです。
どこかに行くことが目的じゃなく、自由に開放された数日を過ごすこと。その素晴らしさは僕達にとっては「物」のプレゼントより何倍もうれしいのです。
ぜひ、今年は夫婦で「時間」をプレゼントしあってみてください。