「ゆっくり、急げ」という格言があります。
ヨーロッパで古くから伝えられる言葉で「よい結果により早くたどり着くには、ゆっくり行くのがいい」「歩みが遅すぎても、もとめる結果にはたどり着けない」という意味があるようです。
きっと子育てをしている人の多くは、自分の人生の中心が「子育て」になっていくのを実感していることでしょう。ぼくもこの7年、同じように子育てを中心に据えて仕事も生活も取り組んできました。
それは喜びや楽しみであると同時に、自分の人生が失われていくような気持ちをどこかに抱え込むことでもあります。
本当は失われていくのは「人生」じゃなくて「余裕(心身・時間などの)」なのですが、余裕はまるで人生そのものであるかのような影響力を持っているようです。
多くの時間を子どもとともに過ごし。自分のための予定は後回しにして。
成長する子どもの姿とは裏腹に、自分自身は停滞し、もしくは後退しているようなあせりを感じてしまう。
だけど、子どもが育ち自分にも少し余裕ができたときに気が付きます。
子どもが産まれる前からは、想像もできないほどの成長と変化をとげている自分自身の姿に。
産まれたばかりの子どもとの生活は、はじまってみるまで自分が「親」なんてものになれるかどうか、なんの確信もなくて不安でいっぱいでした。
とにかく生存と健康に必死だった子育ても、気がつけば「親」としてなんとなくではあるけど自分なりの意見や考えを持てるようになり、夫婦で教育について語り合うようにまでなり。
「ああ、『親』になったんだなぁ」と、いまでは噛みしめるように実感することができる。
子育てをしている人たちは誰でも。気がつけば『親』という新しい人生の道をしっかりと歩んできているのです。それが、どれだけ反省の多い道のりであったとしても。
だからたまに振り返ってみる。子どもが産まれる前の自分と、いまの自分を。
当時は捨てがたく大切だと信じていたことを、いまはどう思うか。
当時は思いもしなかった大切なことが、いまの自分にはあるか。あるとしたらそれは何か。
子育てをしているこの数年が、自分をまったく未知の新しい世界、価値観へと連れてきてくれたことに気が付きます。自分でも知らないうちに。
あれだけ自分の人生が止まってしまったかのように感じていた時期も。
「ゆっくり、急げ」の格言の通り、遠くまで連れてきてくれているって。
速さを競わない
子育てを通じて学べることのひとつが「速さを競わない」ということです。
それは言い換えれば「速さが正義」の社会からの離脱とも言えるかもしれません。
どれだけ急いだところで、0歳の子どもが、明日には2歳になってるなんてことはありません。
1日に1日分だけ。一歩一歩成長していきます。
いまは、ネットで欲しい物を注文すれば数日で手元に届きます。
東京から北海道へ行こうと思えば、飛行機で数時間。
海外にいる友人と話がしたいと思えば、メールでも電話でも繋がれる。
昔のように、欲しい物を手に入れるためにいくつものお店を巡ったり、電車や船を乗り継いでのんびりと数日かけて旅行をしたり、手紙が届くのを何日も待ち続けたりすることは、むしろ「贅沢」な時間になったかもしれません。
あれだけもどかしかった「退屈」な時間は、速さが当たり前の社会においては「贅沢」な時間へと価値観が変わっていきました。
どれだけ急いだところで、すこしも早まってくれない子育ては、その「贅沢」を少し思い出させてくれたようにも思えます。
速いことが悪いわけではありません。
速いことで手に入れられること、救われることはたくさんある。
でも、時間をかけることで得られることが多いのも忘れてはいけない。
せっかく子育てを通じて実感することができた「ゆっくり、急げ」の感覚。
これからは、速さばかり競うのではなく時間をかけて進むことを楽しみたいと思います。