子育てをしていると、子どもの将来が自分の肩にかかっている気がして、重く感じることはないだろうか。「子どものために、私が〇〇しなければ」と、自分の裁量で子どもの未来が変わってしまうような怖さを感じる場面もあるだろう。
これに対し「“子どものため”という判断軸は、実は一番あいまいなのでは」というのはライター/エッセイストのさとゆみこと、佐藤友美さんだ。小学生の息子さんを持つさとゆみさんの子育てには「子どものために〇〇すべき」はないのだそう。そんなさとゆみさんの子育てエッセイ『ママはキミと一緒にオトナになる』(小学館)が2023年3月22日に発売された。さとゆみさんが、子育てで大切にしていることとは。
お話しを伺ったのは……佐藤友美(さとゆみ)さん
ライター・コラムニスト。書籍ライターとして活躍するほか、独自の切り口で、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆している。著者としての代表作に『女の運命は髪で変わる』『書く仕事がしたい』など。Webメディア『kufura』で、2020年から3年間にわたり連載されている『ママはキミと一緒にオトナになる』が小学館より書籍化された。著書としては初の子育てエッセイとなる。小学5年生の息子と暮らすシングルマザー。理想の母親はムーミンのママ。
「〇〇すべき」に苦しんだときの思考法
──子育てをしていると、子どもの未来がかかっていると思い、多くの人が「〇〇すべき」の圧力に応えようとして苦しんでいる印象です。「母親だから、3歳まで一緒にいるべき」とか「ご飯は手作りすべき」といった、子育て中に感じる「すべき」をさとゆみさんは感じたことはありましたか?
子育てをめぐるシーンに、多くの「すべき」があることは、子どもができたときに感じました。一方で、そういった思考からは線を引いて決断するようにしています。そうじゃないと心が疲れてしまうなと思って。
もし、「すべき」論を主張してくる人が自分にとって大事な人であれば、その人と話し合いが必要だと感じます。例えばパートナーから「子どもが3歳になるまでは家で育てるべき」と言われるのであれば、分かり合えるまでしっかりと話し合う必要がありますよね。でも、多くの「すべき」を主張する論って、主語がないと感じるんです。
──主語がないとは、どういったことでしょうか。
例えばさっきの「子どもが3歳になるまでは家で育てるべき」みたいな言説って、主語は誰でしょう? ちゃんと主語を付けると「子どもが3歳になるまでは母が育てるべきだと『私は』考えている」となり、その発言をしている人が主語になるはずなんです。
このように、「一般的にそうだから」といわれている言葉も、よく分解してみたら「発言者が個人的にそう考えている」というだけのことなのかもしれません。ですから、子育てだけに限らず「すべき」に押しつぶされそうになっていたら、それは「誰が」言っているのか、主語を考えてみるといいと思うんです。
と、偉そうに言ってしまいましたが、私は子育てのプロでもなんでもなくて、本でも書いたように、いつも子どもから教わることばかりのぼんやりとした母親です。だけど、長年ライターをしてきたので「主語は誰?」ということには敏感なんですよね(笑)。
──なるほど。「主語がない言葉」に苦しんでいるだけなのかもしれないですね。
主語が「良く知らない第三者」なのに、その言葉がどうしても気になってしまうときは、自分との対話が必要なのかもと思います。「3歳まで子どもと離れたくない」とか「手作りのご飯を食べさせてあげたい」と自分が思っていてやるのと「すべきと言われたからやらねば」と思ってやるのは心の負担が全然違いますよね。
子育てに関しては、「正解」はないと思うんです。「自分が」やりたい、やった方がいいと思っているんだと自覚することが大切なんじゃないでしょうか。もし、自分の意見と、世間の意見を混同しちゃっているのであれば、切り分けて考えてみるといいかもしれません。自分が最も大切にしたい優先順位を明確にすることで、やらされ感がなくなって、ラクになるかもしれないですよね。
──さとゆみさんの子育ての軸は「自分が決める」なのでしょうか。
そうですね。子どもが自分の意思を表明できるようになるまでは、あらゆる判断を「子どものため」ではなく「自分たち家族のため」にするということを、軸にしてきました。自分たちがやりたかったから、そう決めるというのと、子どものためと言われているから決めるのでは、納得感が違う気がします。今は、常に「キミはどうしたい?」と確認して、話し合って決めていっている感じですね。
「生きていれば、なんとかなる」。だからこそ必ず守らせていること
──『ママはキミと一緒にオトナになる』(以下『ママキミ』)を読んでいると、さとゆみさんと息子さんとの関係は、親子というよりも友人のような…とてもフラットに感じました。基本的には息子さんの意思を尊重しているように感じますが「絶対に、これだけは何を言っても守らせる」ということは何なのでしょうか。
命にかかわることかなあ。自分や、周りの人の命に影響があることは、どんなことがあっても守らせます。細かいことだと、横断歩道では信号が青になったかだけでなく、車が止まったかまでを見て、とか。座る前に「椅子引き」をして、尻もちをつかせるというイタズラがありますが、あれは脳神経を傷つけるくらいの大けがになる可能性もありますから、絶対にやめてとか。とにかく、命にかかわることであれば、全力で言い聞かせます。
──とても大切なことですね。
それ以外は、自分で経験して学べばいいと思っています。できるだけ子ども時代に、さまざまな感情の体験をしておいてほしいですね。
──経験から学べ。子どもの力を信じていないと、言えないですね。
私はライターとして、これまでさまざまな人に会い、その方の人生やポリシーなどを取材してきました。だからこそ「こうすれば正解、こうすれば成功という王道な人生はない」と思っているんです。多分、今活躍されている方も、親が想像した未来とは違う姿なんじゃないかな。ですから、少し極端な言い方ですが「生きていれば」何とかなるんじゃないかと思っています。
──子どもが困らないように…と、子どもの前にある小石を脇にどけたくなることもありますが、挫折や失敗こそ、大切な経験ですよね。
ケースバイケースだと思うので、絶対にそうとは思いませんけどね。もちろん、息子が悲しんで帰ってきたら、できるだけ寄り添って、悲しみや痛みに共感したいと思います。でもそこから、どうやって立ち直るかは自分にしか決められない。横で見守りたいですね。
~編集後記~
『ママキミ』のことを「私は子育てのプロでもないし、この本はハウツー本でもないから、このエッセイを読んでも、誰かの課題は解決しないと思う」とさとゆみさんは言う。しかし歌人・俵万智さんは「こういう考えのママ友がいたらなあと思うし、いない人のために本書はある」と『ママキミ』の帯に寄せた。その言葉通り、人に寄り添い、幸せをおすそ分けしてくれるパワーがこの本にはある。それは「私の文章があることで、この世界が少しでも良くなったら嬉しいと思っている」というさとゆみさんの気持ちがたっぷり詰まっているからなのだろう。
<取材・文:仲 真穂>