「失敗」とは「困った」のこと
子どもにはたくさん「失敗」をさせようと、よく言われます。
でも親は無意識のうちにその「失敗」をコントロールしがちです。
たとえば、はじめて自転車の補助輪をはずしたとき。転ばないように、親は一生懸命後ろで支えながら子どもの運転を支えますよね。
そして「手を離すよ!」と言ってパッと手を離す。そのまま運転を続けることもあれば、転びそうになることもあります。
「ほら!よそ見しないでまっすぐ漕いで!」でも気もそぞろになってしまった子どもはフラフラし始める。失敗のコントロールはこの瞬間に起こります。子どもが転ばないようにと、転ぶ前にに手を添える。そして「ほら、よそ見すると転ぶよ」と注意する。
この場合、子どもは「転ぶ」という失敗を親の手によって「転びそうになる」でとめられることになりました。そのおかげで怪我もせずに済んだし、ほっと一安心。でも、子どもは「転ぶ」という失敗を経験する機会は失いました。子どもを転ばせた方がいい、ということではありません。親のコントロールによって子どもを守ることも大切だからです。
でも、たとえばヘルメットや膝当てなどを着けて、道路ではなく公園などの転んでも少しは安全な場所で、転んでも大怪我をしないように環境を整えた上で、転びながら練習するという方法だってあるわけです。
転んだときの痛みや怖さは、実際に転んでみないとわかりません。安全な状況を確保した上で実際に転んでみるというのは、子ども自身の「安全」の解像度はぐっと高まるのではないかと思うのです。
失敗のコントロールは自転車の練習だけで起こるわけではありません。
子どもが朝起きてこないで遅刻しそうになる。このとき親は、何度も子どもを起こし、朝の支度を手伝い、「ご飯食べたの?」と気を使い、まるでベルトコンベアに乗せられたような状態で子どもは自動で朝の出発をします。
親にしてみれば「間に合ってよかった」ですが、子どもは「遅刻する」という失敗を親に寄って免れたことになります。
遅刻しなければ、子どもは先生から叱られることはありません。
そうすると、困るのは親であって子どもではないということになります。
本気で困っていなければ、改善する気持ちになれないのは当然のことです。
失敗とは「痛みや怖さに震える体験」
失敗とは「成功しなかったこと」と捉えられがちですが、ぼくはそうではないと思っています。
失敗とは「痛みや怖さに震える体験」です。だから、失敗は学びになるのです。
「ヤバい! どうしよう!」「困った、どうすればいいんだろう」
遅刻して叱られる経験も、宿題を忘れて叱られることも、子どもにとって大きな、そして大切な学びだと思うのです。
失敗したときに、どう対処すればいいかは、失敗しなければ絶対に学べません。
そして、それが失敗せずに済めば、余計な対処などしなくてもいいんだとわかるようになり、失敗を予防するための創意工夫をし始めます。
自分で起きられそうな目覚ましを買って欲しい、と言ってくるかもしれません。
宿題を忘れないようにするにはどうすればいいか、先生や友達に聞いてみるようにアドバイスしてあげてもいいでしょう。
ちゃんと失敗させることも、ときには必要
寝坊しても起こさない。
宿題をやっていなくても、なにも言わない。
それは放置や無視をするということではなく、子どもが失敗し本気で困る経験を見守るということです。
親が助けてくれないとわかれば、子どもは自分でどうにかしようとします。
まずはその力を信じてあげましょう。
そして、最後の最後。本当に子どもが困ったときには、親が一緒になって解決策を考えてあげればいいのです。
自分で困って、解決策を模索する。これは、子どもにとっても親にとってもとても必要な学びであり、経験だろうと思います。