家事育児によって奪われるもの
家事育児をワルモノとして考えたくはないのですが。
ものすごく疲れてしまうのも事実です。そして夫婦間のもめ事になってしまうのも確か。
その理由は人それぞれですが、家事育児を主体的にやっている立場の人と、サポート的にやっている立場の人とで大きく違うことがあります。
それが「時間の拘束」です。
たとえば、多くのパパは残業をするとき、妻に「今日、残業しても大丈夫かな? 子どものお迎えや晩ごはんお願いできる?」と確認することはあまりないのではないでしょうか。
自分が残業することで、相手に負担がかかることを理解しているパパは多くなってきました。でも、残業可能かどうかを家族に確認しないといけない、という人はまだ珍しいのです。
ところが、ママが残業するとしたらどうでしょうか。
夫や親戚、ママ友やシッターなどに連絡をして「時間」を確保しなくてはなりません。そして、それらの人たちに断られてしまったら、残業はできないのです。
べつに残業をしたいわけではありません。でも「残業ができない」のと「残業をしない」のでは、時間のとらえかたが全然違います。
ほかにも、休日や夜に友人と食事に行きたい。でも「子どもどうするの?」と言われたり、「夕飯は?」と言われたりなんて話も、残念ながらまだ聞きます。
家事育児の責任を担うとは、このように時間を拘束されるという一面もあるのです。
そして、この時間の問題が続くと、自由を奪われたような閉塞感を感じてしまいます。
自由時間を公平にするメリット
自由時間を公平にしよう、と考えることのメリットはなんでしょうか。
それは自由時間こそが、家事育児をシェアした上で得られる報酬であるということです。
これまで家事育児シェアは「いかにして、相手に同じようにやってもらうか」に目線が向いていました。そればかりが注目されていて、シェアすることで得られるメリットについてはあまり語られて来なかったのです。
ですが、シェアすることで得られる「自由時間」は、実感しやすく測りやすいメリットです。
自由時間とは、自分でコントロール可能な時間のこと。
その時間に掃除や片付けをやっても、友人と出掛けても、勉強や仕事をしても、誰にも何にも言われない時間のことです。
夕飯を作らなくちゃいけない。食器を洗わなくちゃいけない。掃除をしたいし、洗濯もやらなくちゃならない。
お迎えの時間は決まっているし、寝かしつけの時間もあまりずらしたくない。こうした家事育児は自分の予定を決める際に、他の予定よりも優先順位高く時間をブロックしてきます。
そして、それと引き換えに自分のための自由時間は失われて行くのです。
失われた自由時間は、自由に残業したり出かけたり、のんびりしたりしているパートナーとの間に不公平感を生み出します。
でも、それが自由時間が不公平だからだ、とはあまり思わないかもしれません。むしろ「相手が家事育児をもっとやってくれれば…!」ということばかりに意識が向いてしまいます。それはいつの間にか「相手に家事育児やらせること」が目的化してしまう危険を伴っているのです。
だから、改めて思い出してほしいのです。
家事育児をシェアするのは「自分の自由時間を得るためだ」と。
真面目な人は「自由時間なんて欲しいわけじゃない」と思うかもしれません。でもそれは違います。自由時間とは、心のゆとりでもあり、身体を回復させる時間でもあるのです。そうした時間があるからこそ、家事を機嫌よくこなせるし、子どもとまっすぐ向き合う力が湧いてきます。
自由時間を公平にするためには、家事育児のシェアが不可欠
もしママが残業やお出かけをしたいと思ったときに、パパが料理できない、子どもを一人でみられない、お迎えに間に合う日がない、なんて状態だといつまでもママは自由時間を得ることはできません。だからこそ、家事シェアは必要なのです。
じつは、ママだけじゃなく、パパもこの自由時間がとても短い。原因は勤務時間と通勤時間の長さです。
お互いに短い「自由時間」だからこそ、これを公平に分け合うことが大切なのです。
お互いを助け合い、家族の時間を楽しむための最低限の家事育児スキル。
これからの子育て家庭には必要不可欠なのです。