「性被害」という言葉が昼間から散乱する事態
昨年長い闇から表に露呈された、男性アイドル事務所の長年にわたる性被害問題。朝から夜まで延々と「性被害」という言葉が無防備にマスコミから垂れ流される日々。この状況でテレビをつけていると「ママ、セイヒガイって何?」と聞かれた人も多いんじゃないかな?あぁ、なんともしんどいなぁ…気の毒に、とため息が出てしまう…。
有名芸人の醜聞
そして、今年に入ってからは大物芸人から一般人女性が性被害を受けたという噂が広がり、加害者とされる芸人は今のところ全てではないが番組を降りた。しかし再度、朝から夜まで延々と同じ言葉が連呼される事態になった。
噂される芸人は大物とあって影響力も大きく、後輩芸人が女性を大物に紹介していたという疑惑まであり、新語として?「上納システム」という言葉まで追加される始末。
「嫌なこと」を笑いにする異常性
そもそも、彼らの笑いのうちの1つである「弱いものいじめ」にしか見えない番組が個人的にとてもイヤで、あまり見たことがない。殴られたり、穴に落ちたり、泥だらけ、粉だらけ、クリームだらけになったり、雪景色の中で下着姿とか、脈絡なく天井から水が降り注がれるなど、自分が同じ目にあったら「とても悲しい」事件でしか無い場面が繰り返し流される。
それを「笑い」として、認められていたこと自体に疑問を持つが、いつしかある種のバラエティの王道となり、自分の芸としてやられっぱなし専門?の芸人が「笑われる」ために捨て身でオーバーリアクションをする。そしてワイプで笑うのは大物芸人という同じパターンの番組を何度か見たことがある。
「いじめ」と「いじり」
これを見た子どもたちは「いじり」だと称して、クラスの大人しい子たちに水をかけたり洋服を隠したり、プロレスの技を掛ける…というようなことをしていないだろうか?
いやしかし、私たちの時代からすでにこんなことは日々大人の目をかいくぐって繰り広げられたきた。だから、一概に現在のテレビや芸人のせいにすることは良くない。
ただ、やはり気になるのは、影響力のある人物が「誰がされてもイヤなこと」をされている芸人を見て大笑いしている、という場面を見て、子どもたちがどう感じるか、ということ。
芸人というお仕事
そもそもエンタメ、芸人というお仕事は「笑わせる」のが仕事であったはずが、いつからか「笑われる」カテゴリの芸人が現われた。彼らは、面白いことを言ったりしたりして笑わせるという自らの芸よりも、イヤなことをされて「笑われる」ことの方が需要が高く、それを生業としている。そしておそらく大物芸人とはとても仲が良い、という関係性が先に成立していると思われる。
しかし、テレビの前で笑って見ている子どもたちは「それが仕事」「仲が良い」ということを理解する前に「いじり」と評して物静かなクラスメートに「いじめ」を繰り返してはいないだろうか。
モテたい欲と支配欲
10年ほど前に芸能界を追われた、別の大物芸人も「仲間」的な芸能人を自分の番組に出演させていた節が見て取れていたし、今回問題になっている芸人も同様に、後輩芸人を自分の番組に出演させていたのではないか?そして、出演させてもらっている後輩芸人は気に入ってもらうために、女性との宴席を設けるなどして、懸命に点数を稼いでいたんじゃないか?と想像する視聴者は少なくはない。
売れてモテたい、売れて権力を得たい、というのは、至極最もな成功への基本的なエネルギーになることは理解できるが、ここまで露骨に世に出てしまった今、「令和の常識がそれでもいいのか」と、思わずにはいられない。女性や後輩を支配して、思い通りにすることをステータスとする考えは、この時代にはそぐわない。
地上波の行く先
すでに様々な理由で「子どもに地上波は見せない」「タブレットやテレビでYouTubeだけを見せている」という家庭も多いと聞くが、もしかすると「性被害」などという言葉が頻繁に流れることに抵抗を感じて、テレビを辞めた人もいるのでは?
では、テレビの行く先は?と考えてみた。
昭和に逆行するのか、と叱られるかもしれないが、やはり誰もが気軽に見られるテレビには「家族で安心して見られるコンテンツ」が望まれるのではないか。
一定の公共性があり、それなりの期待もあるゆえ「誰も傷つけない」笑いが求められるのは仕方のないこと。もしもそれを物足りないというなら、より刺激的な番組を有料コンテンツで見る、という選択肢を準備すれば良いのでは?と思う。
とにもかくにも、オトナが作った創造物に影響を受けた子どもたちが傷つかないように…と願うばかりだ。