夫婦は「家族」である一方で唯一の「恋人」
たしかに、付き合いたてのような感情はもう戻って来ないかもしれません。だからと言って、一足飛びに熟年の老夫婦のような境地に入ってしまうのも、なんだか味気ない。どうせなら、その関係の移り変わりもじっくりと味わっていきたいと思うのです。
僕は、夫婦の関係にはふたりの歴史に応じた相応の形というのがあるような気がしています。
結婚1年目と、10年目では形が違うのは当たり前。もし10年目にもかかわらず1年目のような熱意を向けられ続けたり、求められ続けていれば「…⋯それはちょっとしんどいな」って思うのです。
夫婦は「家族」である一方で唯一の「恋人」でもあります。この両方を担っているのだから、バランスを取るのが難しいのも当然かも知れません。
自分たちなりに「家族」と「恋人」のバランスを取る
結婚をして、子どもが生まれると夫婦の関係の土台は「恋人」から「家族」へと移り変わっていきます。
それはちっとも悪いことじゃなくて、逆にいつまでも「恋人」のままで「家族」という意識が希薄なままだと信頼を失ってしまうことにもなりかねません。
でも、問題なのは「恋人」の要素がごっそりなくなってしまうことではないでしょうか。僕もかつては家族になったら、まるでトレードするように恋人の要素がなくなってしまうという感覚でいました。まるで「家族になるためには、恋人の要素は邪魔」とでも言うように、無意識のうちに切り捨てていました。
では、家族と恋人の間で失われてしまうことって何でしょうか。それが、僕はこの2つの間のバランスを取るうえで重要なポイントだと思っています。
「家族」と「恋人」の間で失われてしまうもの
失われてしまうものは3つあると思います。
1.相手への気遣いの心
家族になると、自分と相手との境界が薄まっていく感覚になります。良くも悪くも自他の境目がなくなってしまう。
そうすると、相手は「気遣う存在」ではなくなってしまうんです。
たとえば、仕事や友人との約束が家族との約束よりも優先されてしまったり。
まるで一人暮らしかのように、裸同然の格好で家をウロウロしてしまったり。
良く言えばまさに「気を遣わなくてもよい関係」であり、悪く言えば「気を使うに値しない関係」とも言えるかもしれません。
2.相手への好奇心
気遣いの心と合わせて失われてしまうのが、相手への好奇心です。
「すべてを知っている」というのは安心の材料であると同時に、「それ以上の興味がわかない」ことでもあります。
「恋人」とは、相手の知らないところを、少しずつ知っていく過程の関係だと思うのです。これは知的好奇心も、性的好奇心も同じでしょう。知らないから、知りたいと思う。だから、もっと近づきたいし、触れていたい。
かつて、どこかの雑誌で言われていそうなことですが「ミステリアスな部分」「相手に見せない部分」を持っておくことは、「何でも知ってる」よりも相手を魅力的に見せるのかもしれません。
3.相手を尊重する気持ち
最後は、相手を尊重する気持ち。気遣いにも似ていますが、もう少し根っこの部分の話です。相手の身体は自分の身体ではないのだから、自分の好きなときに勝手に触れてはいけない。たとえば、こうした相手の存在を尊重する気持ちがあれば、セックスまでの手順も相応の段取りを踏もうとするでしょう。恋人時代にそうであったなら、夫婦になってからもそうした尊重の気持ちは大切です。
もちろん、セックスに関してだけではありません。相手が大切にしていること、考えていること、守りたいと思っていること。そうしたことに対して、かつてはそこに魅力を感じ、尊重してきたはずです。だとしたら、これからだってこの相手への尊重の気持ちは持ち続けているほうがいい。
「恋人」の時間を取り入れる
もしも上記の3つを忘れてしまっているとしたら、少しずつ取り戻してみましょう。僕自身は、とくに「相手への好奇心」を見失っていることに気が付きました。でも、当たり前ですが夫婦といえど相手のすべてを知っているはずもありません。だから、もっと興味をもって会話をするところがスタートでした。阿吽の呼吸なんてクソ食らえです(笑)それより、対話を通して深く知り合うほうがずっと面白い。
こうした相手をより深く知ろうとする時間。これを僕は「恋人としての時間」だと思っています。
方法は何でもいい。
二人でデートをしても、どこかに出かけても、家でゆっくりお酒を飲みながら話をしても、セックスをしても。いずれにせよ、その時間は、相手への気遣いと、好奇心、そして尊重する気持ちを意識的に持って接する。
きっと少しずつ、「家族」と「恋人」のバランスが、自分たちなりにうまく取れるようになっていくと思います。