関心のなさは日常で感じる
自分の話を聞いてもらえない。というのは、ただそれだけで自分のすべてを否定されたような気持ちになるものです。
そして、そういう瞬間は日常の中に小さく、でもたくさん潜んでいます。
たとえば、TVを見ながら食事をしている最中。仕事の話をはじめたらTVが盛り上がって、会話の注意がそっちに逸れてしまった。
そしてそのまま会話が別の話題に変わってしまって話を戻せなかったり。
たとえば、夫婦での会話中に、子どもが割って入ってきて、そのまま会話が中断してしまったり。
話をしている最中に、それを途切れさせられると誰しもイラッとします。
そして、大切な話であればその後に再び話題を戻そうともしますが、世間話や雑談だったり、自分にとっては大事だけど相手にとっては大事ではない相談事だったりすると、話を戻すことを躊躇したりします。
でも、それは決して「どうでもいい」から打ち切ったわけではないのです。
こうした瞬間に、自分をないがしろにされたような気持ちが芽生えることってありますよね。
一方で話を聴く方だって言い分もあるものです。
興味のない話を聴くのは辛い
「WBC、日本すごかったね! ほら、あの場面で大谷選手がさ」
日本中が沸き立ったWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)ですが、全日本人が同じように興味と熱量を持って観戦したわけではありません。
熱心に応援していた人もいれば、「ああ、なんか野球で盛り上がってるみたいだね」という人もいます。
日本の活躍ぶりは、興味のある人同士で話せば尽きることのない胸アツな話題ですが、まったく興味のない人に語っても「ふ〜ん」って流されてしまったりします。
人はきっと、関心のあることでないと注意を向けるのは難しいのでしょう。
同じことが夫婦間の会話でも起こります。
パートナーの話す会話にいまいち興味を持てない。だから目の前のTVの方に目が行ってしまうし、Twitterのタイムラインやメールの方に注意が向いてしまう。
話を聞いている方は、聞いているふりをしながら(自分にとって)もっと有意義なことに時間を使いたいと思っている。
話をしている方は、自分の存在自体をないがしろにされたような気がしてしまう。
このすれ違いは、夫婦の信頼感を少しずつ失わせていくような気がするのです。
いま、に集中するようにしよう
ここ数ヶ月、わが家では食事中のTVを辞めました。
TVを見ながらだと、子どももぼーっとご飯を食べてしまうし、会話も生まれません。
また、上記したように会話が生まれても、TVによってそれを邪魔されることもある。
すごく疲れていると、TVに家族の相手をしてもらって、食事中くらいぼーっとしていたい日だって、正直あります。
でも、そんな自分の都合でTVを付けたり消したりしても、家族も迷惑でしょう。だから、覚悟を決めて「食事中はTVを見ない」としました。
それだけで、家族での食事のQOLが一段UPします。
子どももダラダラ食べることが減り、こぼしたり、いつまでもお腹いっぱいにならない、なんてことも減りました。
いつも会話で満ち溢れてるってわけではありませんが、一日の中の数少ない家族の会話時間になっています。
夫婦で会話するのが難しい、という人は多いですが。
こうした食事の時間を会話時間にすることもひとつの方法となります。食事中はTVを見て会話できない、のであればTVを辞めてみるのはいい方法かもしれません。
また、会話中はスマホを見えないように隠すのも大事です。
通知が入れば気になってしまうし、相手が話している最中でも何気なくスマホを開いて確認したくなります。
ちなみに、通知が入ったのに気がついたのに、通知を見ないで相手の話に集中しようとするのはものすごく難しい。
そして、ほんのチラ見でもスマホを見られると相手はちょっと嫌な気持ちになってしまう。
これは、もうスマホが近くにあることが問題の元凶と言っても過言じゃないかもしれません。
会話の内容が面白いか面白くないか。
そうした問題もあるかもしれませんが、それよりも会話をしていること、そのものに集中する。
それで生まれる「安心して家族と会話ができる関係」は、何よりも価値があるのではないでしょうか。