自分の中の「怒り」を言語化・認識できた
もともと僕は、とても怒りっぽい性格だったと思います。
声を荒らげて怒鳴り散らすようなことはないものの、相手を淡々と詰めていくような怒り方をしていました。
一見冷静そうですが、まったくそんなことはありません。
内側では怒りの感情がグラグラと煮えたぎっているので、目の前の言葉尻を捕まえてただケチをつけているような感じです。
この議論の先にあるのは「相手をどれだけ傷つけられるか」。
相手が傷ついた顔をすれば気持ちがいいし、相手が傷つかなければ議論は終わりません。
いま思っても最低最悪ですが、20代のころは本当にそういう怒り方をしていたのです。
妻と結婚し、何でも話し合おうとする妻に感化され怒りをぶつけるのではなく、話し合いで解決することを学びました。
いつの間にか「怒らなく」なっていたのですが、それがなぜなのかを言語化できるようになったのは、ほんの数年前です。
キッカケは「京都移住でモメたこと」でした。
娘が3歳のころ。これまでの保育園から、面白い理念をもった幼稚園に変えようと日本全国を探し始めました。
その結果、鳥取県にある森の幼稚園がいいのではないかと移住を決断。家も契約して、あとは3か月後の移住を待つばかり。
ところが、幼稚園側の運営方針の変更により、夕方のお預かりがなくなってしまったのです。
運営方針の変更、というよりはそのプロセスに納得がいかなかった妻は「違うところにする」と言い出したのです。
そして急遽「京都にいい幼稚園があるよ」と僕にプレゼンを始めたのです。
ところが、僕はもう鳥取に行く気満々だったし、いまから色んな変更手続きも面倒だし、幼稚園の変更は困るけど、その上でできる対策を考えたらいいんじゃないかって思っていました。
意見が真っ二つに割れたのです。
それまで一度もケンカしたことのなかった僕たちでしたが、さすがにピリピリした空気に。
いま口を開いたら怒りをぶつけてしまいそうで、口を閉ざしたままだった僕に妻は「すこし考えてみて」と時間をくれました。
目的は、相手を傷つけること?みんなが幸せになること?
時間をもらった僕は、思ったことをとにかくスマホのメモに書き出しました。
京都が嫌な理由、妻のプレゼンに矛盾があるところ、言い分に納得のいかないところ、2~3日かけてスキマ時間を見つけては書き込んでいきました。
それは、妻を説得するための材料集めのつもりでした。
書き出した情報を眺めながら「さて、どうやって妻を論破しようか?」と思ったときに、ふと気がついたんです。
- 妻の揚げ足を取って論破するための情報
- 家族にとって最善の選択をするための情報
- 自分の感情
これらがごちゃごちゃに混ざっていると。
そして1、3の情報は、全部京都移住を否定しているのに対し。2だけは京都移住も「検討すべき」理由だったんです。
具体的に言えば。
- 妻が言っていた「働けなくなる」は極端すぎる。対策は先方もいくつか検討してくれている
- もし京都の幼稚園や環境の条件がよいなら、いまならギリギリ変更可能。移住後では変更できない
- 急に捲し立てられた上に、まるで決定事項のような物言いに納得がいかない。決めたことを簡単に変えるべきではない
でも、怒りに支配されたまま売り言葉に買い言葉で議論をしていたら。
2が頭をよぎっても、絶対に受け入れられない気がします。3を動機に、1ばかりを探して問い詰めあう。
そのくせ口では「これが家族のためになる」なんて言うに違いないのです。
自分の感情も、調べたことも、相手の言ったことも、全部を書き出して俯瞰して眺めたことで、僕は自分の中にある「相手を傷つけることを目的とする思考」に気が付きました。
結局、その後の話し合いで京都を見ることにして、その結果、京都へ移住することになりました。
京都にいた3年間は、本当にすばらしい期間でした。子どもにとっても、僕たち夫婦にとっても、これが最良の結論になったと心から思えます。
相手を傷つけることを目的とした思考に敏感になる
この思考に支配されると、簡単には引き返せません。
だから、自分の中に「相手を傷つけたい」という気持ちが芽生えたら、グッと言葉を引っ込めます。
言いたいことを我慢するわけでもないし、相手の言いなりになるわけでもない。
だけど、この議論の先に家族の幸せがあるのか。それとも自分のうさを晴らしたいだけなのか。
少し時間をあけて考えてみることも必要かもしれません。
僕は、自分の中のその感情に一度気がついてからは、自分の中の怒りをとらえるのが比較的簡単になりました。
家族だからといって、何でも許されるわけではありません。
自分がどんな言葉を発するべきなのか。怒りの感情を捉える練習は大切かもしれません。