「なぜ」を突き詰めても、家事シェアは一歩も進まない
自分が忙しく家事してるのに、のんびりしている家族の姿を見ると「なんでこんなに気が利かないんだろう」と思ってしまいますよね。 子どもにだって「家事を手伝うように」と言ってるはずなのに、何かを頼めば嫌がったり、ママが家事を始めると逃げるように自分の部屋にこもってしまったり。
「なぜ、みんな手伝ってくれないんだろう」
ついそう考えてしまうのは自然なことかもしれません。 ですが、「なぜ?」を突き詰めても家事シェアが進むことも、問題が解決することもほとんどありません。
それは、その突き詰めた先にたどり着くのは「過去」のことでしかなく、どうしたって過去は変えることができないからです。
たとえば「家事を手伝ってくれないのは、(夫や子どもが)怠け者だからだ」「面倒くさい家事をやるのが嫌だからだ」「本当は手伝う必要なんてないと思ってるからだ」「わたしのことを大事になんて思ってくれてないからだ」など、その原因を探ったところで、それが当たっているかどうかもわからなければ、「で、どうすればいいの?」もわかりません。
結局、どうすればいいかよくわからないため「少しは手伝ってよ!」と強く当たってしまったりして、さらに嫌がられてしまう、なんてループにハマりがちです。
「なんのため?」を考えると家事シェアが進む
「なぜ」という過去の原因について、どれだけ考えてみても、その原因がわかったところで解決のしようがないことが多い。それこそ「夫は子ども時代、家事をやらずに育ったからだ」とわかったところで、タイムマシーンに乗って過去の夫に「お母さんのお手伝いするんだよ」と言い聞かせることはできないのです。
そこで、問うべきは「なんのため?」です。
「夫が家事をしないのは”なんのため”なんだろう?」「子どもに手伝いなさいって言ったら、部屋にこもってしまうのは”なんのため”なんだろう?」。 つまり、人の行動には何かしらの目的があり、それを達成するために行っているという考え方です。これを「目的論」といいます。
この「なんのため」ですが、もちろん家族に対して考えるのも大事ですが、まずは自分自身に問いかけてほしいと思います。
わたしは「なんのため」に、家事をして欲しいといい続けるんだろう?
家事シェアはみんながみんな「5:5」でやりたいと思っているわけではありません。 中には「わたしの好きなように家や暮らしを整えたいから、できるだけ家族には触れてほしくない」という人もいます。そういう人は「『わたしの好きなように家事をするため』夫や子どもにはあまり手伝ってとは言わない」のです。
他にも「わたしの負担が大きすぎるから、それを減らすため」という場合もあるでしょう。でも、もう少し掘り下げてほしいのです。「負担を減らすため」と言っても「とはいえ、自分の思い通りにやりたい」人もいれば「やってくれるなら自分とやり方が違おうがなんでも構わない」人もいるでしょう。
ですので「わたしが理想とする家事をやってもらうため」なのか「わたしの方が頑張っていることを認めてもらうため」なのか、自分の心の中の、建前じゃない本音を(誰にも言わなくていいので)探ってみましょう。
そうすると、自分が発している言葉と、自分の隠れた本音の間にギャップを見つけることがあるかもしれません。 本当は「わたしの思い通りに夫を動かしたい」という目的があるのに、「自分で考えて家事して欲しい」と言い、やったらやったで、それに対して「たたみ方が違う、ここにこうやってしまって欲しい」とダメ出しをしてしまったり。そこで「せっかくやってくれたのに、申し訳ないな」と罪悪感を感じることもあるかもしれません。
自分の本音が見えたら、まずは自分の言動がちゃんとその目的に適っているかどうかを考えてみましょう。 それだけで、家事シェアのコミュニケーションが変わり、期望をしっかり相手に伝えることができるようになるはずです。




