同じ「帰省」でも、体感はまるで違う
まず知っておきたいのは、帰省は夫婦のどちらかにとって、けっこうな「労働」になりやすい、ということです。
自分の実家なら、勝手知ったる場所で気楽に過ごせます。台所にも自由に立てるし、ちょっと横になっていても誰も気にしません。でも、相手の実家ではそうはいきません。
「お手伝いしましょうか」と台所に立つべきか、それとも「座っててね」と言われたら座っているべきか。気を張り続けて、なんとなく落ち着かない時間を過ごす。
同じ屋根の下で過ごしていても、片方はくつろぎ、片方は気を遣い続けている。帰省には、こういう非対称がとても起きやすいのです。
「自分の実家ではリラックスできるのに、相手が気を張っていることに気づかない」。これは、悪気があるわけではありません。ただ、自分がくつろげている場所だと、相手のしんどさが見えにくくなってしまうだけなのです。
火種は「当日」ではなく、「決めていないこと」から生まれる
では、帰省のモヤモヤはどこで生まれるのでしょうか。
じつは、当日そのものよりも「事前に決めていなかったこと」から生まれることがほとんどです。
手土産は何にするか。何日から何日まで滞在するか。滞在中、どう過ごすか。
こうしたことが“なんとなく”のまま当日を迎えると、その場での判断や気遣いが、どちらか一方に集中してしまいます。手土産をあわてて選ぶのも、滞在中の段取りを気にするのも、たいていいつも同じ人。
これは、いわば「名もなき帰省タスク」です。普段の「名もなき家事」と同じで、やっている本人にしか、その大変さは見えません。だからこそ「わたしばっかり気を遣ってる」という感覚が、じわじわとたまっていってしまうのです。
帰省を「二人のイベント」にすり合わせる
大切なのは、「どちらの負担か」を考えることではありません。「二人で、どう過ごしたいか」を、事前に少しだけ話しておくことです。
たとえば、こんなことです。
手土産は、一緒に選ぶ
「何にする?」ではなく、「何にしようか」。ほんの少しの言葉の違いですが、"二人ごと"になります。
相手の実家では、パートナーが“通訳”や“盾”になる
気を張っている側にとって、いちばん心強いのは、隣にいるパートナーが味方でいてくれること。「うちでは、そんなに気を遣わなくて大丈夫だからね」の一言があるだけで、ずいぶんラクになります。自分の親と相手のあいだに立って、うまく橋渡しをする。これは、自分の実家に帰る側にこそできる役割です。
「困ったらこの合図」を決めておく
「疲れたな」「そろそろ切り上げたいな」と思ったとき、こっそり伝えられる合図をひとつ決めておく。それだけで、気を張っている側は「いざとなったら助けてもらえる」と安心できます。
お互いが少し休める時間をつくる
帰省中も、ずっと気を張りっぱなしだと消耗します。「午後は子どもをおじいちゃんに任せて、二人でちょっと散歩しようか」でもいい。お互いがふっと息を抜ける時間を、意識してつくってみてください。
「行事」ではなく「時間」にする
帰省は、どちらかが黙って耐える"行事"ではありません。二人で、どう過ごすかをつくっていける"時間"です。
そしてこれは、帰省にかぎった話ではないと思っています。どちらか一方が我慢して成り立っている時間は、長くは続きません。逆に、ほんの少し事前に言葉を交わしておくだけで、同じ時間がまるで違う景色に変わります。
今年の帰省は、「どっちの実家に行く?」の前に、まず「今年はどんな帰省にしたい?」と、話してみてください。それだけで、夏の帰省が、少しだけ楽しみなものに変わるかもしれません。




