親としてできることなんて、たかが知れてる
「親として、僕にできることなんてたかが知れてる」
娘が生まれてから、そんなテーマで連載を続けてきました。この想いは娘が8歳になったいまも変わりません。
それは「親が正しい」と自分を過信しないための戒めでもあり。
「子どもの成長は、すべて親の責任だ」と自分を追い詰めないためでもあります。
また、実際にどんどん成長していく子どもの姿に驚き、感銘を受けているからでもあります。
僕は仕事柄、たくさんの親御さんたちと接してきましたが「親として」という気持ちが強いほど辛そうに見えたりもします(人のことなので、それぞれだとは思いますが)
僕もこんなことで悶々としたことがありました。
「読書好き」になって欲しい
僕は本が大好きです。小説からビジネス書、論文や漫画。時間があればずっと本を読んでいます。
自分が好きだから、本を読むことにはとても価値があると思っている。だから、娘にもぜひ「本好き」になって欲しい。
そんな風に思っていました。
「家に本がたくさんあると、子どもは本好きになる」
「親が本を読んでいる姿を見せると、子どもも本を好きになる」
そんな言葉に影響されて、本を一緒に読んだり、娘の前でも積極的に本を読んだりしていました。
だけど、娘はなかなか本に興味を示さない。
娘の友だちは、本が好きでたくさん読んでいる子もいるのに。
そんな小さな嫉妬心すら芽生えてしまう。
でも、人に強要されて読む本ほどつまらないものもありません。
僕はせいぜい「本を読みな」と言わないようにするくらいしかできませんでした。
そんなある日、娘に言われたのです。
「パパはさ、いっつも本読んでるよね。本読んでるとちっともわたしと遊んでくれない」
子どもはいつも、大人に鋭い指摘をくれます。
この件に関して言うならば「パパは本を読んでて楽しそうだけど、わたしはつまらない」ということ。
「パパが面白そうに読んでるから、わたしも読んでみよう」なんて、なるとは限らないのです(苦笑)
親の背中を「見せる」より、「見せない背中」を意識する
親の背中を見せることが、子育てでは大事だと言われます。
たしかに、僕もそれはとても大切なことだと思います。ただし「こうあって欲しい」という姿を見せるというよりは「これはダメ」という姿を見せないことの方が、僕は大事だと思うのです。
以前、定食屋さんでのこと。
近くの席にいたご家族で、ご飯を食べている子どもたちがお茶碗に箸をまっすぐに突き立てたのです。これはあまり行儀のよいことではありません。
そしてふとその隣の茶碗を見ると、お父さんも同じように茶碗に箸を突き刺していました。
たぶん無意識なのでしょう。普段からきっと、箸を置かずにごはんに立てる癖があるのかもしれません。
子どもって、真似して欲しくないことはどんどん真似します。なぜなら、真似してほしくないことって「楽」なことが多いから。
本を読むのは大変だから真似しないけど、動画やスマホを見ながらご飯をながら食べするのは楽だから真似します。
子どもって、そういう意味で自分の直したいなって思っているところを映し出す鏡のようです。
親として、僕ができることは「ご機嫌に過ごすこと」
「こうして欲しい」「こうなって欲しい」色んな思いを子どもに抱くこともあるかもしれません。
でも、僕は子どもに親の思い通りに成長して欲しいとはあまり考えていません。
何を好きになり、どのような人生を歩むかは本人の決めることです。
僕があんまり子どもに見せたくない背中。
それは、不機嫌でイライラして、八つ当たりしたり、感情的に怒ったりする姿です。
子どもの前ではイライラしない、ということではなくて。
できるだけ「ご機嫌に過ごすこと」こそが、僕が親として一番大切にしていることです。
そのために気をつけていることはたくさんあります。
睡眠や健康、夫婦の関係、仕事のことも。
それは一見、育児とは別の話のようですが。それこそが僕にとってはものすごく大事な「育児」だと考えています。
家族がご機嫌だったら、大概のことは前向きに乗り越えていけると思うのです。