娘の幸せを素直に喜べない自分は親失格?
小5の娘は放課後、毎日楽しそうに出かけていく。学校でも習い事でも友達に囲まれ、平日も週末も友達と過ごす時間が増えてきた。楽しそうでなによりと思う一方、胸がざわつくときもある。「私が知らないところで、こんなに楽しそうにしているんだ」「私がいなくても、こんなに充実しているんだ」と暗い気持ちが浮かんでくることがある。娘の幸せを素直に喜べない自分にモヤモヤする。
親はよく「子どもの幸せを一番に願う存在」と言われますが、親も一人の人間。
子どもの幸せそうな姿を素直に受け止めきれない方は意外と多いもの。
子どもが楽しんでいる姿を見て、モヤモヤしてしまう。
そんなときはどうやって気持ちを整理したらよいのでしょうか。
なぜ子どもの幸せにモヤモヤしてしまう?
- 「私は学生時代、友達関係で苦労した」
- 「もっと自由に遊びたかった」
- 「本当は挑戦したかったけれど、できなかった」
そんな経験があると、子どもが楽しそうにしている姿を見たとき、「よかった」という思いと同時に「自分にはなかったものを、この子は持っているんだ」という気持ちが生まれることがあります。
これを単なる嫉妬や羨望として片づけると、自分を責めたり、「あのときこうしていれば」と過去を後悔したりすることにつながります。
モヤモヤしたときは、自分の中にある整理しきれていない思いや、満たされなかった経験が刺激されているのかもしれないと考えることが大切です。
つまり、子どもに向けたモヤモヤの中には、「子どもへの不満」ではなく、「過去の自分への切なさ」が隠れていることもあるんですね。
過去の自分の切なさを整理していく
「自分は何が羨ましいのか」を考える
子どもの幸せを見てモヤモヤしたとき、「こんなことを思うなんて親として最低だ」と自分を責めてしまうことがあります。
しかしここで大切なのは、気持ちを一歩掘り下げてみること。
- 「娘が友達と楽しそうで寂しい」→「自分は学生時代、友達作りがうまくいかなかった」
- 「子どもが好きなことを自由にしていて羨ましい」→「自分は子どもの頃、我慢することが多く、やりたいことを自由にできなかった」
モヤモヤをうまく整理できないままだと、「子どもばかり楽しんでずるい」「もっと自分のそばにいてほしい」など、子どもの行動を制限したくなる気持ちにつながることもあります。
モヤモヤの正体を考え、自身が大切にできていなかった気持ちを知るのが第一歩です。
子ども中心の生活から、自分の人生にも目を向ける
子どもが高学年くらいになると、友達と過ごす時間が長くなり、習い事や塾など、親と関わらない時間が増えていきます。
そのとき起こりやすいのが、「自分だけ取り残されたように感じる」という感覚。
そんなときは子どもの世界を追いかけるのではなく、「自分はこれまで何を楽しみにしてきたんだろう」と自身に目を向けてみてください。
- 昔好きだった趣味を再開する
- 友達と会う予定を入れる
- 休日に一人で楽しむ時間をつくる
親自身の人生を生きていく感覚を取り戻すことが、結果的に子どもの成長を穏やかに見守る力になります。
子どもの幸せを「自分の評価」と結びつけない
子どもの充実度を、親自身の価値と結びつけすぎないことも大切です。
たとえば、
- 友達が多い→自分がいろいろな習い事や遊びの機会をつくってきたから
- 何でも挑戦できる→幼い頃から、やりたいことに挑戦できるようサポートしてきたから
「自分の育て方がよかったから」と、自分の子育ての評価につなげて考えることがあります。
もちろん親の育て方や関わり方の影響は大きいですし、否定されるものではありません。
しかし、「子どもの人生→親の通知表」のように捉えてしまうと、親子ともに苦しくなってしまいます。
「私がこうしてきたから」と考えるのではなく、「子どもには子どもの人生がある」と分けて考えることで、親自身の心も少しずつ軽くなっていきます。
大切な子どもなはずなのに、楽しそうな姿を見ると心がざわついてしまう。
そんな自分を責める必要はありません。
近くにいる大切な存在だからこそ、自分の過去や願いが刺激されるのは当然だからです。
子どもの幸せを心から喜ぶためにも、親自身の人生を振り返って整理し、親子それぞれの人生を大切にしていけるといいですよね。



