
第240回 多賀麻希(80) 偶然じゃないんだよ
「ええんちゃう? この店、長細いし、棺の形に似てるやん」
カウンターの中でコーヒーを淹れているマスターが言った。
新宿三丁目のカフェをモリゾウと訪ねている。モリゾウは、この夏書き上げた短編戯曲『納期』の初演をここでやりたいと考えていて、その相談に来ている。
棺を作る工房で働く職人と、棺を注文した客の二人芝居。「納期」は棺を納品する期日を指すが、「人生を終えて棺に納まる日」という意味も込めている。
「店じまいに棺の話て、ぴったりやな」
マスターがそう言い、「店じまいって?」と聞き返した麻希とモリゾウの声が重なった。
「モリゾウ、ええタイミングに話持ってきたな。ここ、年内で閉めるねん」
「店やめて、何するんですか?」と麻希が聞くと、
「悠々自適や」
「今も悠々自適じゃないすか」とモリゾウが突っ込むと、
「これからが本番や」
マスターは相変わらず肩の力が抜けている。商売っ気がないのも相変わらずで、いまだにメニューも置いていない。
「相方が決まってないのに、先にハコ押さえるん?」
「そういうもんすよ」
モリゾウは『納期』の共演相手を探している。どちらが職人で、どちらが客を演じるかは、もう一人がつかまってから割り振るらしい。
「古墳王子とめろんは?」とマスターが聞く。
「高低差太郎」とモリゾウはタレント名の「古墳王子」を役者名にあらためてから、「どっちかとだけ組むってわけにいかないんで」と言った。

高低差太郎とめろんぐらっせは、モリゾウが一緒に演劇をやっていた仲間だ。麻希が初めてこのカフェを訪ね、マスターが呼び出したモリゾウを紹介されたとき、チラシを受け取った。
タイトルは「ねぼけ眼のねじを巻け」。公演はすでに終わっていた。以来、モリゾウは舞台に関わっていない。結婚相手の家業の建設業を継いだめろんぐらっせが抜け、高低差太郎もタレント業で忙しくなり、フェイドアウトした形だった。
めろんぐらっせとは会ったことがないが、古墳王子を名乗る高低差太郎はモリゾウから紹介された。古墳バッグを注文され、この店で会って納品した。王子はバッグを受け取ると、コーヒーに口もつけず、席を立った。
お金の話は出なかった。その話が出ないように、さっさと立ち去ったとも言える。モリゾウを長らく居候させていた「貸し」の一部を返してもらった、くらいの気持ちだったのかもしれない。
そんなことがあったなと彼の名前が出て思い出すまで、ずっと忘れていた。ケイティにひまわりバッグのデザインを盗まれた屈辱は何度もぶり返し、痛みを刻み直されたのに。
「王子、最近見かけんようになったな。仕事減ってるんとちゃう?」とマスターが言う。
古墳バッグを注文された頃は、バラエティ番組や広告でそれなりの露出があった。売れて調子に乗っていた時期だったのかもしれない。

「落ちぶれても、チケットは売れるんとちゃう?」とマスター。
「チケットを売るのが目的じゃないんで」とモリゾウ。
きっとそう言うだろうと麻希が想像した通りの答えだ。だが、その後が違った。
「あいつの芝居、久しぶりに観てみたいですけどね」
意外だった。モリゾウは彼をまだ見限っていない。
「高低差太郎って演技うまかったの?」と麻希が聞くと、
「ていうか、あいつ、ずっと何かを演じてるから。『古墳王子』だって、そうだし」
モリゾウの言葉に憐れみが混ざっているように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「小劇場に立たせておくにはもったいないけど、テレビで売れるほどの顔やないから、古墳の色つけて売り出した。けど、賞味期限が切れたんかいな。古墳は千年級のロングセラーやけどなあ」
マスターがしみじみと言う。
「あいつの古墳知識なんて、つけ焼き刃だし」
モリゾウは「古墳王子」には冷ややかだ。元々はモリゾウが古墳好きで、「高低差太郎」の名をつけたのもモリゾウだったことを麻希は思い出す。古墳タレントに必要な知識もモリゾウが授けたのだろう。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきた老紳士にマスターが気づいて声をかけた。
紳士が立ち止まり、壁の一点に目を向ける。視線の先に麻希が刺繍した天使がいた。マダムさんの洋品店で店番に入ったとき、客待ちの時間に針を運び、糸で描いた幼い天使ふたり。

マダムさんの店に飾ろうと思っていたのだが、以前マスターに励まされた「天ペイ」のことを思い出し、手土産に持ってきた。
「天ペイの運び人やん。ええことありそうやん」
マスターが気に入り、入り口近くの壁に早速掛けた。半時間ほど前のことだ。
「今さっき、お迎えしたとこなんです。彼女の作品なんですわ」
マスターがカウンター席の麻希を紹介すると、紳士の目が麻希に向けられた。
「え?」
麻希の背中からモリゾウが驚いたような声を上げた。紳士から見て麻希の奥に座っているので、麻希の背中越しに紳士を見ている。
「デラさん?」とモリゾウが紳士に呼びかける。
「え? モリゾウ?」と紳士が応じる。
「知り合い?」と麻希とマスターが紳士とモリゾウを交互に見る。
「俺を演劇の道に引っ張った人」とモリゾウが言う。
「僕に芝居の面白さを思い出させてくれた青年だよ」と紳士が言う。
「もう青年じゃないですけど」とモリゾウが苦笑する。
「僕は堂々の爺さんだ。孫も生まれたし」と紳士が言い、「双子なんだよ」と続ける。
刺繍に見入っていた理由がわかった。天使に生まれた双子を重ねたのだろう。
「モリゾウと一緒にやった最後が、あれだったね。『たとえこの雪が溶けてしまうとしても』」
紳士の口から出たタイトルに麻希はドキッとする。
モリゾウと麻希が出会う前の出来事だが、曰くつきの作品だ。その舞台の初演から半年ほどして、内容が酷似した連続ドラマが放送された。偶然似たのではない。ドラマのプロデューサーは舞台を見に来ていた。招待したのは高低差太郎で、彼を「古墳王子」として売り出したのが、『雪だるまの涙』の後、ドラマ部からバラエティ部に異動になったプロデューサーだった。

「懐かしいよね」と紳士が屈託なく言い、目尻を下げる。
起きたことを何も知らないかのように。
「実はつい最近、あの戯曲に再会したんですよ」と紳士が続ける。
「え? どこでですか?」と驚くモリゾウの声は明るい。
「戯曲デジタルアーカイブでね」
「デラさん、見つけてくださったんですか」
「教えてくれた人がいたんだよ」
「え、誰ですか?」
「彼ですよ。高低差太郎君。出演してたでしょ?」
麻希にとっては意外だが、モリゾウの顔は驚いていない。
「いやー、あらためて読んで、いい戯曲だ。ちょっときれいすぎるくらいだけどね」
紳士が目を細める。
「実は、今年も戯曲デジタルアーカイブに一本登録したんです。もうすぐ公開されると思うんですが、『納期』という作品で」
「納期?」
「二人芝居なんですけど、実は、相手役に思い浮かべている人がいて、今、その人としゃべっているんですけど」
モリゾウが言うと、「僕?」と紳士が自分を指差した。
「天ペイのご利益、早速あったな」とマスターが麻希に言う。
「まさかこんな形で再会できるなんて。すごい偶然ですね」
声を弾ませるモリゾウに、紳士がふっと笑った。
「偶然じゃないよ」
そうか。ここに来ればモリゾウと連絡がつくと教えてくれた人がいたのかと麻希は思う。
きっと高低差太郎だ。
「立ち話もなんですし、あちらのテーブル、空いてますけど」
マスターが奥のテーブルを指し示し、紳士を促す。麻希が田沼深雪にウェディングドレスのリフォームを依頼されたテーブルだ。
「飲み物はコーヒーにします? それか、乾杯します?」
答えを聞く前に、マスターは冷蔵庫に向かっている。
麻希はこの店に初めて来た日のことを振り返る。

ハローワークを訪ねる勇気がなく引き返し、20代の頃に働いていた映像製作プロダクションが入っていた雑居ビルに足が向き、かつて1階にあったカフェとは違う、店の前に立てかけた「焙煎珈琲 然」の一枚木の看板に惹かれ、重い木のドアを開けて始まった物語は、この日に続いていたのだ。
あれからもうすぐ6年になる。

次回11月21日に佐藤千佳子(81)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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