「マスク=顔パンツ」?
ここ数年で転職されたり引っ越しをされた方は、職場の同僚やお隣さんの素顔を見たことない方もいますよね。
中高生からは、「卒業アルバムで初めてクラスメイトの顔を見た。自分の顔がさらされている感じで恥ずかしい。」などの声を耳にします。
脱マスクに向けて社会が動き始めていますが、思春期世代はどのように感じているのでしょうか。
多感な時期、マスクが守ってきたものとは
どの時代においても小学校高学年から高校生くらいまでの子、いわゆる思春期世代は周りの目が特段気になるもの。
思春期は、自分と他人を強く意識する時期、「個性をだしたい面」と「みんなと一緒でいたい面」がせめぎ合う時期といえます。
そんな思春期の時期をコロナ渦で過ごした子は
- 黙食によって昼休み、無理に雑談をしなくてよかった。
- 「自粛」という名目で放課後まっすぐ家に帰っていた。
- マスクによって目元だけしか見られずにすんだ。
良くも悪くも、マスクや行動自粛によって、個性を出す機会まで制限されてきました。
マスクによって奪われたコミュニケーションもあれば、マスクによって守られてきたコンプレックスも多かったのではないでしょうか。
そんな世代に対して、大人が「顔が見えるコミュニケーションが必要」「脱マスクはウィズコロナの象徴だから積極的に」などと唱えても抵抗があるのは当然。
”周りの人と合わせるのが安心”なのであれば、周りの友達に合わせてもよいと思います。
”自分ははずしたい・つけておきたい”と思えば、大人はその子なりの個性として尊重するのがよいのではないでしょうか。
大人にとってはたった3年。子どもにとっては?
大人になると、一年があっという間に過ぎていく感覚はありませんか?
この感覚は、「ジャネーの法則」による心理的現象といわれています。
同じ1年であっても、10歳の子どもにとっては人生の10分の1、60歳の大人にとっては60分の1。
年齢に対する比が小さいほど時間が短く感じられるというものです。
15歳の子が過ごしたこの3年間は、人生の5分の1にあたります。
また、12歳から15歳という心身ともに大きく変化する時期をコロナ禍で過ごしたといえます。
「最後の1年だからこそマスクはずしたら?」と感じる気持ちももっともですが、3年のうち2年をともに過ごしたマスクは、学生生活と切っては切り離せない存在になっているかも。
大人の感覚を押しつけず、思春期世代の感覚を理解するのも大切だと感じます。
「子どもが所属する社会の常識」を尊重する
少し私の話に逸れますが、小学生の頃、フードにファーがついたダウンを買ってもらったことがあるんです。
でも学校に着ていったら、私のダウンのファーによって友達がくしゃみを連発するようになってしまったんですね。
私がファーを気に入ったからこそ買ってくれたものだったので、母親に対して申し訳なさを感じながら、ダウンのファーをはずしました。
そのとき母親が「せっかく買ったのに」などと言わず、理由を知り「友達想いで偉い」と褒めてくれて嬉しかったのを今も覚えています。
マスクの話に置き換えても、やはりその子なりの理由を親が理解してあげるのが大切です。
「なんでいつまでもマスクつけてるの?」「もうみんなはずしてるよ」ではなく、その子自身の考えを尋ねてみてください。
子どもの周りには「祖父母と暮らす友達」や「感染を心配している友達」、また「脱マスク警察の友達」がいるかもしれません。
大人は、テレビやメディアなどが報道する社会を気にかけて行動するものです。ですが、子どもにとっては、日本社会の風潮よりも「学校・教室・自分のいるグループの風潮」が最優先。
大人の常識を押し付けず、子どもの社会ならではの常識を聞き「なるほどな」と感じる視点も求められるのではないでしょうか。