なぜ罪悪感を感じてしまうの?
「いまや男女は平等である!!」……と心から思えるでしょうか? 「思う」という人もいれば「まだまだかなぁ」と悩ましい人もいるでしょう。 いずれにせよ、いま世の中は「男女が平等であったほうがいい」という価値観に向かって進んでいます。
色んなシーンでその価値観と現実のギャップを目にするわけですが、家庭内で大きいのはやはり「家事育児介護などの役割分担」です。
一時期に比べて、男性の家事育児時間は伸びてきています。 実際に、みなさんの家庭でも「まあ、一緒にやってるかな」という人が案外多いのではないでしょうか。
ところが、先の話にあったように「罪悪感」を感じるのは、ママのほうが多い。 「俺だって、妻が料理してる間、何もしてないのはちょっと気まずいよ」というパパもいるかもしれません。ですが「気まずい」と「罪悪感」はまったく違います。
「気まずさ」とは「相手にどう思われるかな」という居心地の悪さです。 いっぽうで「罪悪感」とは「自分の行動が、道徳的、倫理的ルール、または自分自身の規範に反している」という後ろめたさです。
つまり、相手がどうかではなく、自分の内側から湧き上がってきてしまうのが罪悪感なのです。
この罪悪感の元となっているのが「理想の母親像」という社会規範による影響です。
無意識だけど自分の中にある「母親」の理想像
「理想の母親像」と聞いて、どんな母親の姿を思い浮かべるでしょうか?
- おおらかに子どもと接している姿
- 子どもが帰ってきたら「おかえり」と迎えてあげる姿
- 手作りの美味しい料理を家族に振る舞う姿
- 家をキレイに整えている姿
などなど。
他にも色々とあるかもしれません。 ですが、おおよそ日本人の想像する「理想の母親像」は、そんなに多種多様ではないはずです。せいぜい、専業主婦なのかワーキングマザーなのか、という違いがあるくらいでしょう。
では、なぜその共通の母親像をみんなが何となく思い浮かべるのでしょうか。自分の母親の姿? 周りのママ友の姿? それもあるかもしれません。
ですが、メディアやマスコミ、漫画や小説や映画、日本にいれば当たり前に目にするさまざまな情報の積み重ねが、この「日本の理想の母親像」を作り上げています。
たとえば、ドラマなどでたまに見かける「バリキャリで働くワーキングマザー、外ではキラキラ笑顔だけど、家に帰ると疲弊してしまっている」という姿は、共感をしたとしても「理想像」とは言えないかもしれません。
ちなみに、男性にも同じように「理想の父親像」があります。 理想の母親像とは違いますが、男性も同じように理想の父親像と、いまの自分にギャップを感じると「罪悪感」を感じてしまうのです。
自己受容こそが、罪悪感を拭ってくれる
この「罪悪感」を感じなくなった、というママさんによく共通していることがあります。 それが「自分を受け入れること」です。これを心理学では「自己受容」と言います。
自分のいまの状況は、「配られたカード」であり、そのカードの良し悪しは関係ないのです。 それよりも、今手元にあるカードを使って、どのように振る舞うのかを考えるのです。
自己受容の第一歩として、とても大切なことをアドラー心理学では教えてくれています。それは、 「自分を認められるのは、自分だけ」であるということ。
他人の作った理想像を自分に当てはめる必要はありません。 また、他人からの評価も関係ないのです。
自分を認められるのは、他の誰かではありません。唯一自分だけです。 そして、自分がいまの自分を、ありのままに認めてあげることができれば、他者との比較で苦しむこともなくなります。
「自分を認められるのは、自分だけ」この言葉を、忘れないようにしたいものです。



