初めて聞いたときには、曽祖父が併合時代の朝鮮半島で働いていたという事実に戸惑った。まさか身内が侵略行為に深く関わったのではないかという疑念をどう咀嚼してよいのかわからず、ざらりとした違和感を拭えなかった。
だが、当時を振り返る祖母の口調はいたって無邪気なもので、自分が半島にいた理由に思いを致したことはなかったようだった。というよりも、それ以上を考えることを放棄しているようにも見えた。一度「植民地にしていたってことだよね?」と追及したところ、のらりくらりとかわされてしまったくらいだ。そんな姿勢にも疑問を覚え、わたし自身が若い頃には、祖母の思い出話も素直に受け止めることができなかった。
そんなわたしの様子おかまいなしに祖母が楽しそうに語る思い出は、当時、家に来ていたお手伝いの朝鮮人のお姉さんのことばかりだった。とても優しかったこと。5人兄弟の末っ子で親からも放置されがちだった(と本人は言う)祖母のことをとても可愛がり、ときには親よりも厳しく叱ってくれたこと。彼女が料理するのを、近くでよく見ていたこと。そして、その料理がとても美味しかったこと。きっとキムチもそのときの記憶から見よう見まねで再現していたのだろう。
キムチづくりはワクワクする料理実験のような楽しさがある
祖母がまだ70代の頃には、上野にキムチやチャンジャなどのお惣菜を買いに行き、韓国料理店に連れて行ってくれたこともあった。
「こうやって食べるのよ」
と、まだ味見さえしていないわたしのピビンバに、いきなりワカメスープ全部をぶっかけて混ぜてしまうような強引で強烈なばあさんではあったけれど、わたしが韓国にずっと親しみを感じているのには、15年以上前のヨン様ブームや今の娘の韓流好きだけではなく、この祖母の影響がやはり大きいのだろうなと思う。
ところで、このピビンパにスープをかけた話、気になって韓国人の知人に「ありやなしや?」と聞いてみたところ、
「子どもなら、あり。
大人なら、スプーンにごはんをのせて、それをスープにひたして食べるくらいならあり」
との答えを得た。そうか、お手伝いのお姉さんがそうやって食べさせてくれたのか。それだけ当時の祖母は幼かったのだ。
そんな幼い頃に連れて行かれ数年を過ごしただけの祖母に、日本の行為について振り返ることを強要することも気の毒だし、子どもの頃の楽しい思い出を懐かしむことまで否定しちゃいけないよな、とようやく納得できるようになった。
それにしても「現地仕込み」のキムチに鮭が入っていたとは。地域によっては魚介が米よりも豊富で、ある海辺の町ではごはんのカサ増し目的で、米とほぼ同量近い牡蠣を炊き込んでいたという話も上記の『韓国人の食卓』では見たから、鮭も必ずしも贅沢でもなかったのかもしれない。あるいは日本人技師の家だから裕福だったのか。当時の暮らしぶりを想像し始めると止まらない。もっとおばあちゃんに聞いておけばよかったな。