「悪いこと」=「罰を与える」じゃない
子どもも大きくなってくると、親に内緒でちょっと危ないことをしてみたくなったりしますよね。
以前、わが家でもそんなことがありました。詳細は省くものの、親に嘘をついて出かけてしまったことがあったのです。
親としてはとても不安になるし、それが危険なことだと本人があまり自覚してないことも心配だったりします。
いずれにせよ、こうした「子どもが何かよくないことをしたときに、親としてどう対処するか」は、僕たち親はいつ直面するかわからない身近な問題だったりします。
そして、いざ直面すると、怒りの感情、不安や心配の感情などが湧き上がってきてついついヒステリックに叱りつけてしまうかもしれません。
ですが、そのエネルギーのまま感情を相手にぶつけることは、「感情の発散」と「わたしの気持ちをわかってほしい」ということにほかなりません。 そして「子どもが反省するように」と「罰」を与えても、それはただの「罰」でしかなく、子どもが何かを考え、自分で気づく機会にはあまりならないのではないかと思うのです。
僕自身、子ども時代はさんざん色んな大人に怒られてきました。
ですが、怒鳴りつけられ、罰を与えられたことで、反省し、学んだことはほとんどありません。
それよりも、「自分で考えさせられる機会」「今後どうするかを考えさせられる機会」を与えられた方が、よほど記憶に残っています。
今回の件でも、さまざまな感情が湧き上がってきて、色んなことを子どもにぶつけたくなる気持ちは確かにありました。 ですが、それをぶつけることや、キツイ罰を与えることよりも、もっと大切なことがあるんじゃないかと考えたのです。
「罰」よりも「機会」を与える
子どもを叱る前に、もっと大切なことがあります。 それは「(親である)自分は何にこんなに怒っているのか」を自分でしっかりと知ることです。
心配だった、子どもが嘘をついた、何か悪いことをした。
こうした粗い感情のまま叱り始めると、感情だけがどんどんエスカレートしていきます。 また、子どもが反省しているか、理解しているかを判断するのは案外むずかしいものです。
愁傷な顔をして泣いているから、言ってることを理解してるとは限らないし。 無表情でうつむいていて何も言わないからと言って、何も考えてないとも限りません。
僕たちは、子どもに何を理解し、、学んでもらいたいのでしょうか。
- 心配だった→どのようなリスクがあり、何が心配だったのか?
- 子どもが嘘をついた→嘘をつくことくらいあります。でも、今回の嘘の何がそんなによくなかったのか?
- 悪いことをした→悪いことも色々です。犯罪行為のようなレベルなのか、そうでないとしたら、何がどう悪いのか?
そう考えると、子どもに伝えなくてはならないこと、理解し、反省してもらわなくてはならないことが何なのかが見えてきます。
つまり、反射的に叱ってはダメだと言うことです。 話を聞き、状況を理解し、ある程度のことは伝えつつも、今後のことについてはまた後でしっかり話をしよう、と伝えて時間を空けたっていいんです。 むしろそうしたほうがいい。
そして、理解し、反省するべきことを親なりに言葉にできたら、それについて子どもにしっかり考えるという課題を与えます。
親の意見は一致させておく
わが家では、
- 何が悪かったのか
- なぜ親がこんなに怒っているのか
- 今後どうすればいいのか
について、子ども自身に考えさせ、それを僕たちにプレゼンするという課題を与えました。 そして、そのプレゼンを聞いて、僕たちが納得をするまで考え続けること。 僕たちが納得するまでの期間は、デバイスなどの使用は全部できないようにすること(これが罰です)。
を約束しました。
この対策については、子どもとの最初の話し合いが終わった後に、夫婦で話をしてどうするかを決めました。 何より大事なのは、夫婦で意見が一致していることです。
パパの言うことと、ママの言うことが違えば子どもは混乱します。 ママは許すけど、パパは許さないなんてことがあれば、子どもはどうすればいいかわからなくなります。
だから、夫婦で意見をそろえておき、伝えるべきことを伝えるようにしました。
その後、数回のプレゼンを経て、この件について子どもは子どもなりに理解ができたのだと思うことができました。 プレゼンをする前にも相談してきたり、どう考えればいいかを聞いてきたりもしていました。 やってしまったことをただ叱りつけるより、それをどう「成長の機会」にするか。 それが、とても大切なのだと感じています。
子どもを叱らなくてはならないこともあると思います。 そんなときに、少しだけ思い出してみてください。



