夏休みが終わった途端の発熱
今年は、あまり夏らしくない夏だなぁ……なんて思っているうちに、夏休みが終わった。
世間では、「子どもがずっと家にいて大変だった」「やっと自分の時間が戻ってきた」というお母さんたちの声が聞こえてくる頃だ。
私は、子どもの長期休みがきらいではない。むしろ、子どもと濃密に過ごせる時間が終わってしまうことを、少し寂しく感じるタイプ。
だから、この夏も自分ではご機嫌に、毎日を心から楽しんで過ごしていたつもりだった。
ところが、夏休みが明けた途端、数年ぶりに高熱を出して寝込んでしまった。普段、ほとんど体調を崩さないだけに、突然の高熱には驚いた。
布団の中で、「どうして、こんなに熱が出たんだろう」とぼんやり考えていたとき、ふと気づいたことがある。
私は、「楽しいんだから、疲れているはずがない」と思い込んでいたのだ。
楽しいことでも、身体はちゃんと疲れている
考えてみれば当然のことなのだけれど、どれだけ好きなことでも、日常のペースや生活リズムが変われば、心も身体もいつも以上にエネルギーを使う。
子どもと一緒に笑って、出かけて、話して。
楽しい時間を過ごしているその裏側で、無意識のうちに気を張っていたり、いつもとは違う生活リズムに身体が合わせようとしていたりする。
「楽しい」と「疲れていない」は、同じではないのだ。
私たちはつい、
「嫌なことをしたから疲れた」
「大変なことがあったから疲れた」
と考えがちだけれど、実は楽しい時間の中にも、静かな疲労は積み重なっている。
だから、「なんだかだるい」「気分がすっきりしない」「理由はわからないけれど、何もしたくない」。
そんな“なんとなくの不調”が出てきたときは、無理に元気になろうとしなくてもいいのだ。
もちろん、体調不良が続くときや強い症状があるときは、医療機関に相談することも大切。
そのうえで、日々の小さな疲れについては、「私、ちょっと頑張りすぎていないかな?」と立ち止まってみる。
私は、そこに心からのメッセージが隠れていることがあると思っている。
心の「余白」は、何もしない時間から生まれる。私自身、高熱で強制的に休むことになって初めて、「もっと早く休めばよかった」と思った。
本当は、完全に動けなくなる前に、自分でブレーキをかけることができたはずなのだ。
本当は、意識してつくりたいと思っているのが、「何もしない時間」。
たった5分でもいい。スマホを置いて、お茶を飲む。
窓の外を眺める。空を見る。
何かを学ぼうともしない。
情報を取り入れようともしない。
ただ、ぼーっとする。
これだけでも、頭の中に詰め込まれていたものが少しずつほどけていく。
そして、もうひとつ大切にしているのが、自分に問いかけること。
「今、本当はどうしたい?」
「何か無理して抱えていない?」
「本当は、休みたいんじゃない?」
忙しい毎日の中では、自分の気持ちを聞くことさえ後回しになってしまう。
だからこそ、ほんの少し立ち止まって、自分の声を聞いてあげる。
それだけでも、心にはちゃんと余白が戻ってくる。
「できなかったこと」ではなく、「今日できたこと」を見る
そして、もうひとつやめたいのが、自分を減点法で評価すること。
「あれができなかった」
「もっと頑張れたはず」
「今日は何もできなかった」
そんなふうに、一日の終わりに自分へダメ出しをしていないだろうか。
でも、本当に何もできなかったのだろうか。
今日一日を生きた。
ご飯を食べた。
家族と話した。
仕事をした。
疲れた身体で、それでも一日を終えた。
それだけで、十分なのではないかと思う。
「今日も無事に一日を終えた。これで完璧」
そんなふうに、自分に丸をつける日があってもいい。
これから秋が深まっていくにつれて、木々は静かに葉を落とし、冬に向けてエネルギーを蓄えていく。
自然がそうやって静かに次の季節へ向かうように、私たちもずっと走り続けなくていい。
楽しい時間を過ごしたはずなのに、なんだか身体が重い。理由はわからないけれど、少し気持ちが落ちている。
そんなときは、「どうしてこんな自分なんだろう」と責める前に、「よく頑張ったね」と、自分に声をかけてあげてほしい。
立ち止まることは、前に進むことをやめることではない。
次の季節を、自分らしく心地よく生きていくために必要な時間なのだ。
この秋は、頑張るためではなく、自分に戻るための「心の余白」を、少しずつつくっていこう。



