帰省は、心を整える時間
我が家の夏の帰省はお盆が定番だったが、娘が中学生になったことで長期休みのスケジュールの立て方にも変化が起きた。
おばあちゃんの家で過ごす夏休みを毎年楽しみにしている娘に、行かないという選択肢はない。部活はできるだけ休まないようにスケジュールを立てたところ、7月末の帰省がベストだということになり、ただいま我が家は帰省中。ということで、今週のコラムは実家で書いている。
夫の実家は東京なので、月に1度は遊びに行く。なので、盆暮れ正月は、離れた場所にある私の実家で過ごす。年に2回、生まれ育った場所で過ごす1週間ほどの時間は、私にとってすごく大事な時間。ここでしかできないパワーを充電しにきている。
それは、幼稚園からの友人や、中学、高校からの友人と集まり、家族ぐるみでごはんを食べたりする時間だったり、自然の多い場所で過ごす、東京では感じられない季節の匂いから得られるパワー。
東京生まれ、東京育ちで田舎がない夫は、私と結婚してから私の実家を自分の田舎のように思っている。だから、どんなに忙しくても、家族そろって帰省する。
私の地元、実家を、自分の地元、実家のように思ってくれる人と結婚できて幸せだなぁと思う。
帰省すると、私は「母の娘」に戻る
それと同時に、この期間、私は”娘の母”という立場から、”母の娘”という立場にもなる。中学生の娘がいる48歳なのに、実家にいる間、私は母から中学生の娘と同じような扱いをされる。
「お風呂にはいりなさい」
「早く寝なさい」
「いつまで寝てるの」
母は、すべてのことをコントロールしたいタイプ。人にはそれぞれペースがあり、それを尊重しながら生きるという考えは母の辞書にはない。
女手ひとつで育ててくれた母のことは尊敬している。自分が親という立場になり、その気持ちは以前よりも増した。たくさんの愛情を感じながら育ってきたとも思っている。感謝の気持ちもある。
でも……、この歳になっても、自分の中にインナーチャイルドを見つけては癒すということを繰り返している私としては、母と過ごすこの期間が、ものすごくきつかったりもする。
昭和20年代に生まれ、兄二人がいる末っ子長女として育った母は、何事も自分の想い通りにいかないと許せないタイプで、とにかく思ったことが瞬時に口から出るタイプ。
久々にあっても、私のダメなところを見つけては、ひとつひとつ指摘をしてくる。
「あなたが着てきた服、センスがないわ」
「髪がパサついてるわよ。ちゃんとお手入れしなさい」
「また太ったんじゃない?」
母としては、「良くなるように指摘してあげている」という意識で、悪気があるわけではないのだろうということは、長い付き合いの中で理解した。が、だから言って、発せられる言葉を受け止められるわけではない。
どんなに悪気がなくたって、言われたくないことはある。
大人になった今、自分を育て直している
私は、とにかく自信がなく生きてきた。どんなに褒められても、目に見える結果を出しても、「もっとできたんじゃないか」というところに意識がいく。
「90点を取っても、あと10点取れなかったことしか考えられないタイプ」と、昔言われたことがある。
それは、どんなときも肯定されることなく、できていないことを指摘される環境で育ったからだ。
母にとってそれは「愛」だった。私にとっては、「今のままでは足りない」という思い込みになったのだけど。
母を責めたいわけではない。母は母なりの精一杯の愛で育ててくれたこともわかっているつもり。
この歳になったからこそ、私は自分自身の課題としてインナーチャイルドと向き合い、あのとき本当はかけてほしかった言葉を自分にかける。
年に2回、母と1週間過ごすこの時間、私の中のインナーチャイルドはソワソワと落ち着かなくなる。私は、ここぞとばかりに、たくさんの言葉をかける。
「もう頑張らなくても大丈夫」
「そのままのあなたにも価値があるよ」
母のそばにいると、昔の私が顔を出す。だから私は、そのたびに今の私が、あの頃の私の味方になる。
親は、子どもにたくさんのものを与える。でも、大人になった私たちには、自分で受け取り直す力がある。
過去は変えられない。けれど、過去の意味は変えられる。
だから私は、これからも少しずつ、自分を愛し、自分に還る生き方を選んでいきたい。
だからこそ、娘には願う。
「人に優しくできることは本当に素敵なこと。でも、その優しさを、自分にも向けられる人であってほしい」。
そんなことを思う、帰省4日目の夜。



